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カテゴリー「バイク、旅」の記事

2023年9月20日 (水)

ベルリンの壁

 第2次世界大戦後、ドイツは東ドイツ(DDR)と西ドイツ(BRD)に分裂、東ドイツ内にあったベルリンも、東ベルリンと西ベルリンに分割された。しかし、東西ベルリン間は自由に往来できたため、生活水準の低い東側から、経済成長を続ける西側への人口流出が激増、東ドイツ政府は深刻な危機感を抱いた。こうした中、東ドイツ政府は1961年8月13日、突如として東西ベルリンの境界線を封鎖し、有刺鉄線を張り巡らせた。その後、有刺鉄線の代わりに高さ3mの壁を建設、西ベルリンは壁に包囲されることになった。ベルリンの壁は、西側陣営の侵入を防ぐというよりも、東側の国民を逃がさないために作られたのだ。壁が建設されたのは東西の境界線上ではなく、東側にちょっと入ったところだ。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊後、壁はほとんど取り壊されたが、いまはところどころに、しるしが残されている。

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2023年9月19日 (火)

ベーベル広場

 ウンター・デン・リンデン沿いにあるベルリン国立歌劇場横のベーベル広場は、ナチス・ドイツの焚書が行われた場所だ。1933年5月10日、アドルフ・ヒトラーの側近ヨーゼフ・ゲッベルスが演説し、これを聴くために集まった学生たちは、2.5万冊以上といわれる「非ドイツ的な」書物を燃やした。映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」にも登場するこのできごとの後、ナチス・ドイツは戦争への道を突き進み、人類史上最大の犠牲を生み出した第2次世界大戦を引き起こす。ベルリン大聖堂や博物館島も近いベーベル広場周辺は、いまは観光客でにぎわっている。

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2023年9月18日 (月)

総統官邸跡

 虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑の目と鼻の先に、一見すると普通のアパートと駐車場がある。ここには第2次世界大戦中、総統官邸があった。1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーは、結婚したばかりの妻エーファ・ブラウンとともに、総統官邸中庭にあった総統地下壕で自殺する。2人の遺体は中庭で、ガソリンをかけて焼却されたという。戦後、総統官邸は爆破されたが、地下壕はあまりにも強固なつくりだったため、完全に破壊できず、そのまま地下に埋められた。いまは、当時の見取り図などを示した案内板が設置されている。

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2023年9月17日 (日)

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

 ブランデンブルク門の南にある虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)は、第2次世界大戦で廃墟となった官庁街につくられた。戦後はベルリンの壁が建設され、無人地帯となったが、東西ドイツ統一直前に建設計画が持ち上がり、2005年に完成した。1m×2mほどの面積の石碑が、さまざまな高さで2711個も並べられているという。地下の情報センターには、ホロコーストの犠牲者の資料が展示されている。

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2023年9月16日 (土)

テロのトポグラフィー

 ポツダム広場の近くにある歴史博物館テロのトポグラフィーは、ナチス・ドイツの悪名高き秘密警察ゲシュタポ本部などがあった場所だ。第2次世界大戦で廃墟となったこの地には、戦後ベルリンの壁が建設されたが、東西ドイツ統一後、現在の形に整備された。一見すると空き地のように見えるが、残された150m以上の壁の内側には、発掘された地下牢が公開されている。また、記録センター内には、歴史的な写真や書類が展示されている。

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2023年9月15日 (金)

ポツダム広場

 第2次世界大戦前、ベルリンの中心商業地であったポツダム広場は、戦後の無人地帯時代を経て、ベルリンの壁崩壊後再び中心商業地となった。007「オクトパシー」でピエロ姿の009が、潜入先の東ベルリンから西ベルリンに逃げてくるシーンは、無人地帯だったポツダム広場で撮影されたという。ポツダム広場再開発はドイツ最大の再開発事業となり、日本のソニーも参入、後に売却したが、ソニーセンターの名はまも残っている。ソニーセンターのレストランで食べた名物料理アイスバインは美味だった(しかし、ドイツ料理は日本人には量が多い)。ポツダム広場にあるスパイ博物館も、おおいに楽しめる。

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2023年9月14日 (木)

ティーアガルテン

 ブランデンブルク門の西に広がるティーアガルテンは、かつては王家の狩猟場だった。ほぼ真ん中を6月17日通りが東西に走り、中心部に戦勝記念塔がある。散策すると気持ちがいいだろうが、ちょっと広いので、シェアサイクルやシェア電動キックボードを利用するのもいい。ぼくはLimeという電動キックボードを利用したが、ベルリンは安心して自転車やキックボードに乗れる環境が整備されている。朝夕の通勤時間帯は、自転車通勤する人がいっぱいいて、幼児を乗せたトレーラーを引っ張るお母さんもよく見かけた。東京にも自転車レーンがあるが、だいたいどこかでクルマが駐停車していて、自転車の通行を妨げている。ベルリンと東京ではいろいろ事情が違うんだろうが、なんとかしてほしいもんだ。

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2023年9月13日 (水)

ドイツ国会議事堂

 ブランデンブルク門のすぐ北にある国会議事堂は、1894年に完成したが、1933年の放火事件や第2次世界大戦で破壊され、本格的に修復されたのは1999年だった。東西ドイツ統一後、連邦議会はこの国会議事堂で開かれることになり、名実ともに国会議事堂として復活した。特徴的なガラス張りのドームからは、ベルリン市街を眺望できるほか、議場の様子も見ることができる。正面玄関前は工事中だったが、どのような姿になるのだろうか。

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2023年9月12日 (火)

戦勝記念塔

 ブランデンブルク門の西に広がるティーアガルテンの中心部にある戦勝記念塔は、1872年に完成した。もともとはデンマーク戦争での勝利を記念して帝国議会前に建てられたが、後にヒトラーのベルリン改造計画によってこの地に移された。ベルリンを首都としたプロイセン王国は、オーストリアやフランスとの戦争にも勝ち、1871年にはドイツ帝国が成立する。塔の頂上では、勝利の女神ヴィクトリアが金色に輝いている。

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2023年9月11日 (月)

ベルリン動物園

 ブランデンブルク門の西に広がるティーアガルテンの西端に、ドイツ最古のベルリン動物園がある。ここにも人気者のパンダがいて、ぼくも生まれて初めてパンダを見た(上野動物園のパンダは見たことない)。かつてはホッキョクグマのクヌートという人気者がいたそうだが、いまはベルリン自然史博物館に標本として展示されている。この動物園は、檻の中に閉じ込めているという感じがあまりなく、動物も伸び伸びと暮らしているようだ。

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