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カテゴリー「バイク、旅」の記事

2017年5月 1日 (月)

厳島神社(桔梗弁天)

 平将門伝説が残る東金市の厳島神社は、桔梗弁天とも呼ばれているが、その名のとおりここには将門の母 桔梗にまつわる伝説がある。この地で将門を生んだ桔梗が、母乳が出ないので困り果て、水神社に祈ったところ、そのかいあって母乳に恵まれたという。水というのは人間が生きていく上で最も重要なものだから、水不足や水害は大変困るわけで、安定的な水源を確保するというのはすべての住民の願いだったろう。もしかしたら、将門か将門ゆかりの人物が、水源確保に貢献したのかもしれない。

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2017年4月29日 (土)

稲荷神社(将門稲荷)

 平将門伝説が残る東金市の稲荷神社(将門稲荷)は、将門が藤原秀郷・平貞盛軍に敗れたとき、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ、将門をまつったと言われているところだ。将門の首塚は千代田区大手町に、胴塚は坂東市にあるので、もしかしたらここに持ち込まれたのは将門本人の遺骸ではなく、一族や有力家臣の遺骸なのかもしれない。

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2017年4月27日 (木)

帝立山妙善寺

 東金市には平将門伝説が残っている。将門の乱を描いた「将門記」によると、将門の本拠地はいまの坂東市周辺なのだが、父 良将(良持とも)が佐倉市にいたという話もあるので、東金市にもなんらかのゆかりがあったのだろう。将門伝説が残る一帯は、御門(みかど)、宮(みや)、殿廻(とのまわり)という地名で、新皇(帝)を名乗った将門にいかにもふさわしい感じだ。このうち帝立山(ていりゅうざん)妙善寺は、この地で生まれた将門が母 桔梗のために建てたと言われている。「桔梗」という名の女性は、よそでは将門の妻として登場するのだが、ここでは母ということになっている。いずれにしても、将門の近くに桔梗という名の女性がいたのはほぼ確実なんだろう。

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2017年4月25日 (火)

ホンダCRF1000Rアフリカツイン

 世界一過酷なダカール・ラリーは、かつてパリーダカール・ラリー(パリダカ)と呼ばれ、フランスのパリからサハラ砂漠を縦断しセネガルのダカールまで1.2万㎞もの距離を走っていた。この2輪部門で連勝したホンダは1988年、XRV650アフリカツインというレプリカモデルを発表する。アフリカツインはその後排気量が650㏄→750㏄→1000㏄までアップ、オフロードバイクではあるが長距離ツーリングにも適したバイクとなった。このバイクに乗って林道を走ったら最高に楽しいだろうが、シート高が高く、足がつかないかもしれないので、渋滞の多い都内で乗るのは大変そうだ。

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2017年4月23日 (日)

ホンダゴールドウイング

 ホンダのフラッグシップモデル ゴールドウイングのラインアップに去年、ブルーメタリックの新色が加わった。ホンダのイメージカラーはレッドなので、ブルーのバイクというのはあまりないが、このゴールドウイングのブルーは実にいい色だ。いつかゴールドウイングに乗りたいと思っているので、それまでこの色は残していてほしいもんだ。

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2017年4月 7日 (金)

龍光院地蔵尊

 柏市岩井の龍光院には、平将門の三女 如蔵尼(にょぞうに)ゆかりの地蔵尊がある。伝説によれば、如蔵尼はこの地に庵を結んでひっそりと暮らしていたが、病気で死に、地獄に落とされた。しかし、如蔵尼自身は善人であったことから、地蔵菩薩が助け、息を吹き返したのだという。将門の死後、弟たちはほとんどが殺され、妻や子どももそれ以前に殺されていたが、運よく生き延びた者もいたのだろう。将門の血は、女系を通じて上総氏や千葉氏、相馬氏などに受け継がれているとされ、現代まで連綿とつながっているのかもしれない。

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2017年4月 5日 (水)

将門神社

 平将門の本拠地は石井(いわい、現在の坂東市岩井)にあったが、柏市岩井にも将門神社がある。この将門神社は龍光院という寺に隣接し、将門の三女 如蔵尼(にょぞうに)が父の霊をまつったのが始まりだと言われている。如蔵尼と言えば、将門最期の地である坂東市岩井に國王神社を創建し、父の33回忌にあたって将門木像を刻んだとされる人物で、その木像はいまも國王神社のご神体となっている。この地が将門とどのような関係があったのかはわからないが、岩井という地名といい、深い因縁があるのだろう。

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2017年4月 3日 (月)

桜満開

 皇居乾門(いぬいもん)近くの桜も満開になった。この時期、千鳥ヶ淵など皇居周辺は桜がきれいだ。朝早くだとクルマも人も少ないし。

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2017年4月 2日 (日)

王城の地

 平将門の乱を描いた将門記によると、新皇を名乗り、坂東8カ国を支配下に治めた将門は、下総国(しもうさのくに)の亭南に王城を定めたという。素直に考えれば、これは将門の本拠地である石井(いわい)営所の近く(現在の坂東市岩井周辺)だと思うが、柏市大井にも王城の地とされる場所がある。ここは手賀沼のすぐ南にあり、大井という地名も京の大津になぞらえて大井津と呼んだことが由来だという。本当にここが王城の地であったかどうか、いまとなっては確かめるすべもあまりないだろうが、将門ゆかりの地であることは確かなんだろう。

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2017年3月31日 (金)

将門の井戸

 我孫子市日秀(ひびり)にある将門神社の近くには、将門の井戸という井戸の跡がある。いまはもう水もかれているが、明治の末頃まではこんこんと水がわき出ていたという。言い伝えでは、この井戸は将門が開き、軍用に供したものだという。現代では水道が完備しているため、あまりピンとこないが、昔は生活にも農業にもいかに水源を確保するかが死活問題だった。将門の時代、坂東(いまの関東地方)には大きな湖沼がたくさんあったので、これらも活用して農地を開発したのだろうが、21世紀になったいまでも鬼怒川の大水害が起きるくらいだから、当時の治水事業も大変だったろう。

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