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カテゴリー「バイク、旅」の記事

2019年7月 5日 (金)

振内鉄道記念館④

 北海道平取町にあった振内(ふれない)駅は、いまは鉄道記念館となっている。館内には当時使用していた備品や写真が展示されている。時刻表を見ると、上り下りとも1日各5本が運行されていたようだ。振内駅を走る国鉄富内線は1986年に廃止されたが、日高本線は国鉄民営化後も存続し、馬産地日高をのんびり走り続けた。しかし、2015年1月に発生した高波による線路流出により、鵡川駅ー様似駅間はずっと不通になったままだ。JR北海道もこの区間を復旧させる気はまったくなく、残念ながらこのまま廃止となるのは確実だ。ぼくが最後に乗ったのは2009年だったなぁ。

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2019年7月 3日 (水)

振内鉄道記念館③

 北海道平取町にあった振内(ふれない)駅は、いまは鉄道記念館となっている。線路やホームも残っているほか、D51形蒸気機関車が展示されている。客車も展示されているが、これはライダーハウスとなっている。北海道のライダーハウスは廃車となった客車を利用したものが少なくなく、新冠町にもある。

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2019年7月 1日 (月)

振内鉄道記念館②

 北海道平取町にあった振内(ふれない)駅は、鵡川(むかわ)駅と日高町駅とを結ぶ国鉄富内線の駅だった。富内線は鵡川と沙流川という2つの河川に沿うように敷かれ、占冠村を経て南富良野町までつながる計画だったが、結局そこまでいくことはなかった。1986年に廃止されたが、振内駅は鉄道記念館として整備され、D51形蒸気機関車などが展示されている。


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2019年6月29日 (土)

振内鉄道記念館①

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館に行くと、プロムナードでD51形蒸気機関車の先頭部が迎えてくれる。D51形は「デゴイチ」という愛称で親しまれ、千台以上も製造された。全国各地で貨物用機関車として活躍したほか、外国にも輸出された。大量生産されたということで、いまも全国各地で保存されているが、かつて北海道平取町にあった振内(ふれない)駅に整備された鉄道記念館には、旧ソ連サハリン州に輸出されたD51が里帰り展示されている。

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2019年6月21日 (金)

鉄道博物館⑥

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館は4階建てで、1階にはかつて日本各地を走った歴史的な車両がたくさん展示されている。また、蒸気機関車の方向を変える転車台もあり、実際に転車台を回転するパフォーマンスも見ることができる。JR日高本線は様似駅が終着駅で、国鉄時代は転車台があった。ぼくも幼い頃に見たような記憶があるが、ホントの記憶かどうかわからない。蒸気機関車が走っているのを見たのはたぶんホントの記憶だと思うが。

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2019年6月20日 (木)

鉄道博物館⑤

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館には、蒸気機関車がいくつか展示されているが、このうちC57形は、全国各地で旅客用機関車として活躍したものだ。ボイラーが細身なためプロポーションがよく、「貴婦人」とたたえられたという。安定した性能で長く活躍し、1975年の国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車牽引もC57形だった。

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2019年6月19日 (水)

鉄道博物館④

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館には、蒸気機関車がいくつか展示されているが、このうち9856形は、急勾配区間用としてドイツから輸入されたものだ。マレー式という特殊な構造をしていて、出力は大きいが、高速安定性が悪いなどの欠点があり、実際に走った期間は短かったという。とにかく長い車両だ。

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2019年6月18日 (火)

鉄道博物館③

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館には、北海道を最初に走ったアメリカ製の蒸気機関車「弁慶号」が展示されている。その弁慶号に引かれているのがアメリカンスタイルの豪華客車「開拓使号」だ。明治時代、北海道開拓のための役所として開拓使が置かれたが、開拓使号は開拓使長官や政府高官の専用車両として使われた。明治天皇の行幸の際にお召し列車となったのもこの車両だ。技術的にも、当時最新の自動連結器や自動空気ブレーキを備えていた。


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2019年6月17日 (月)

鉄道博物館②

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館には、北海道を最初に走った蒸気機関車が展示されている。北海道で最初に鉄道が開業したのは1880年、札幌〜手宮(小樽)間だ。1882年には手宮〜幌内間が全線開通し、いまの三笠市にあった幌内炭鉱で採掘した石炭を小樽港まで輸送した。新橋〜横浜間の1号機関車がイギリス製だったのに対し、こちらはアメリカ製で、1号車は「義経」、2号車は「弁慶」と名付けられた。平泉をひそかに脱出し、北海道に渡ったという伝説のある2人の名にあやかったのだろうか。幌内炭鉱からの石炭の出荷は1987年に終了、幌内駅もまもなく廃駅となった。


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2019年6月16日 (日)

鉄道博物館①

 JR大宮駅の近くにある鉄道博物館は、実物車両が新旧あわせて40両も展示されている博物館だ。最も古い1号機関車は1871年にイギリスから輸入された蒸気機関車で、新橋〜横浜間を走った。国鉄で使用された後には一時島原鉄道で使われ、1936年には旧鉄道博物館に展示されることになった。余談だが、アメリカの動物学者エドワード・S・モースは1977年、横浜から新橋に向かう車中から、大森貝塚を発見している。もしかしたら、モースがそのとき乗っていたのは、この機関車だったのかも。


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