カテゴリー「バイク、旅」の記事

2019年2月13日 (水)

本郷台地㉘

 文京区西片の誠之小学校は、もともとは福山藩(現在の広島県)の屋敷があったところに建てられた。というわけで、白山通り沿いのオリンピック裏から本郷台地に登る坂は、福山坂(新坂)と呼ばれている。坂の途中には夏目漱石と魯迅の旧居跡があるほか、白山通り沿いには樋口一葉終焉の地もある。

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2019年2月12日 (火)

本郷台地㉗

 文京区西片の誠之小学校の近くにある曙坂は、いまは階段になっている。階段になったのは戦後で、それ以前はかなりの急坂だっただろう。胸突坂と曙坂という2つの急坂にはさまれた高台の上にある誠之小学校は、台地の下から見るとかなりの高さにある。

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2019年2月11日 (月)

本郷台地㉖

 文京区西片の誠之小学校は、本郷台地の東端に位置している。台地の下から上に昇る坂はかなりの急坂で、その名も胸突坂という。同名の坂は本郷と目白台にもあるそうだ。

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2019年2月10日 (日)

本郷台地㉕

 本郷台地は武蔵野台地が河川に浸食された舌状の台地だが、白山神社周辺も同じように独立した舌状の台地になっている。これは、かつて白山上から白山下に流れた河川の浸食によるものだろう。白山下から旧白山通りに出る浄心寺坂は、住宅街の中にあるが、割と急坂だ。坂の下には、江戸時代に放火事件を起こした八百屋お七の墓がある。

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2019年2月 9日 (土)

加曽利貝塚⑤

 加曽利貝塚の南貝塚の隣の広場には、縄文時代の竪穴住居の集落が復元されている。竪穴住居の直径は4〜6mで、50cmほど地面を掘り下げ、4〜5本の柱を立てて屋根をつけるという構造だ。竪穴住居は夏は涼しく冬は暖かいというが、北海道ではさすがに深さ50cm程度ではそうもいかなかったのか、深さ2mというのもあるそうだ。

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2019年2月 8日 (金)

加曽利貝塚④

 加曽利貝塚は、北貝塚と南貝塚とが8の字型に連結しているが、より新しい南貝塚の方が広々としている。広場には、貝塚でも住居でもなく、交易や祭祀を行っていたとおぼしき場所もあるという。大規模な集落が形成され、祭祀を行うような社会が出現したということだろう。

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2019年2月 7日 (木)

加曽利貝塚③

 加曽利貝塚の貝層断面観覧施設に入ると、高さ2mを超える貝層を観察することができる。貝としてはハマグリが多いが、魚や鳥獣の骨も出土したそうだ。これらの出土品から、当時の人々がどのような食生活をしていたかがわかるし、どのような動物・植物が生息していたかもわかる。

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2019年2月 6日 (水)

加曽利貝塚②

 千葉市にある日本最大級の加曽利貝塚は、直径140mの北貝塚と長径190mの馬蹄形の南貝塚が8の字型に広がっている。出土品から考えると、北貝塚の方が古く、縄文時代中期後半(5000年前)、南貝塚は縄文時代後期後半(3500年前)だという。北貝塚、南貝塚とも貝層断面観覧施設があり、貝層を観察することができる。

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2019年2月 5日 (火)

加曽利貝塚①

 全国に2400カ所ある縄文時代の貝塚のうち、700カ所が千葉県に集中している。もともと海に面している上、縄文海進によって東京湾がもっと奥まで入り込んでいたことで、海岸線がかなり複雑になっていたと考えられる。千葉市にある加曽利貝塚は、千葉県のみならず、日本でも最大級の貝塚だ。加曽利貝塚は台地上にあり、すぐ東の低地には坂月川という小さい川が流れているが、近くに海が広がる時代もあったんだろう。現在は遺跡公園として整備されていて、博物館では土器などの出土品も展示されている。

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2019年2月 3日 (日)

本郷台地㉔

 本郷台地に登る動坂は、古代から人が住んでいたようで、貝塚や縄文時代の遺跡もある。縄文時代にはいまより気温が高い時期があり、東京湾はかなり奥まで入り込んでいたので、いまの不忍通りは海だったんだろう。ここから田端駅に向かっていくと京浜東北線沿いに台地があるが、これが武蔵野台地の東端だ。

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