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カテゴリー「バイク、旅」の記事

2019年4月20日 (土)

飛ノ台貝塚②

 船橋市の飛ノ台貝塚は、縄文時代早期(7000年前)を中心とする遺跡で、日本で最初に炉穴(ろあな)が発見されたところだ。炉穴というのは、縄文時代早期に特徴的な遺構で、煮炊きや燻製づくりを行うかまどのような施設だ。炉穴は住居の中ではなく、野外に設けていたらしい。ここでは発掘調査で発見された炉穴と貝塚が復元されている。

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2019年4月19日 (金)

飛ノ台貝塚①

 国土地理院のデジタル地形図によると、船橋市のうち京成本線・JR総武線より南は平地、北は台地となっている。飛ノ台貝塚はその台地の南端に位置する貝塚で、縄文時代早期(7000年前)を中心とする遺跡だ。当時は縄文海進でいまより海水面が高かったので、台地の下は海だったんだろう。現在は公園として整備されていて、博物館も併設されている。


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2019年4月13日 (土)

上野台地⑨

 千駄木から谷中まで上野台地を登る坂は三崎(さんさき)坂と呼ばれているが、首ふり坂という別名もあるそうだ。このあたりはとにかく寺が多いが、江戸幕府の政策や明暦の大火などもあって、次々と寺が移転してきたという。ところで「谷中」という地名は上野台地と本郷台地との間にある「谷の中」というのが由来だそうだが、実際には多くが上野台地上にある。なぜだろうね。

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2019年4月12日 (金)

上野台地⑧

 根津から谷中まで上野台地を登る言問通りの坂は、善光寺坂(信濃坂)という名前で呼ばれている。もともと善光寺があったからだが、江戸時代に火事にあい、青山に移転していったという。言問通り周辺は上野台地上にありながらもちょっと標高が低くなっている。おそらく河川の浸食を受けたんだろうが、浸食はさほど大きくなかったんだろう。


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2019年4月10日 (水)

上野台地⑦

 上野台地は上野高校のあたりでくびれていて、清水坂と呼ばれる坂がある。名前の由来は、その名のとおり清泉が湧き出る場所があったということだそうだ。ということは、このあたりがくびれているのは、河川の浸食によるものだろう。クランク状に坂を登っていくと、日本の芸術分野の最高学府 東京芸術大学がある。上野台地は動物園もあり、博物館もあり、美術館もありで、休日に散歩するにはいいところだ。

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2019年4月 8日 (月)

上野台地⑥

 上野台地が不忍池の北にちょっとせり出しているところにある東照宮は、その名のとおり徳川家康をまつる神社だ。家康は死後、東照大権現という神としてまつられ、日光や駿府(静岡)の久能山など全国に東照宮がつくられた。現存する社殿は家光が改築したもので、その後第8代将軍吉宗と第15代将軍慶喜もまつられている。すぐ近くには森鴎外がドイツから帰国後に住んだ場所があり、当時の住居がホテルとして保存されている。

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2019年4月 7日 (日)

上野台地⑤

 上野台地の南端は、インド大陸のように鋭角的に突き出している。JR上野駅とは反対、不忍池の方に回ると、上野公園には階段で登っていくことになる。国土地理院のデジタル標高地形図を見ると、もともと同じ武蔵野台地だった本郷台地と上野台地とが河川の浸食によって切り離される前、西郷隆盛銅像と神田明神とを結ぶ線あたりが武蔵野台地の東端だったんじゃないだろうか。

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2019年4月 6日 (土)

上野台地④

 JR鶯谷駅南口は上野台地の上にある。言問通りから向かうと、レールが大きく曲がるのを見ながら、長い跨線橋を登っていくことになる。そしてそこから先も坂が続き、国立科学博物館の方に出る。この坂は明治になってつくられたそうで、新坂という名前がついている。上野山はかつて忍岡(しのぶがおか、しのぶのおか)と呼ばれた時代があるそうで、新坂の上にある学校はその名も忍岡中学校だ。


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2019年4月 5日 (金)

上野台地③

 JR上野駅から北側の京浜東北線は、上野台地(武蔵野台地)の東端に沿って走っている。上野駅と鶯谷駅との間はほぼ直角に曲がった崖線に沿ってレールが敷かれていて、電車はここで大きく方向を変える。鶯谷駅には北口と南口とがあるが、北口は台地の下にあるのに対し、南口は台地の上にあり、だいぶ雰囲気が違う。


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2019年4月 4日 (木)

上野台地②

 JR上野駅から北側の京浜東北線は、上野台地(武蔵野台地)の東端に沿って走っている。台地上には自然科学ファン必見の国立科学博物館のほか、寛永寺がある。寛永寺は徳川幕府6人の将軍が眠る将軍家の菩提寺で、幕末には上野戦争の戦場ともなった。初代住職の天海は家康の側近として有名だが、その正体は実は明智光秀だとの説もあり、なかなか興味深い人物だ。


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