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カテゴリー「バイク、旅」の記事

2018年3月13日 (火)

猿楽塚古墳

 代官山といえばおしゃれな街として有名だ。ぼくもこのあたりは学生時代からよくバイクで走っていたのだが、古墳があるとは知らなかった。ヒルサイドテラス内にある猿楽塚は、古墳時代末期の築造で、高さ5mほどの円墳だ。代官「山」というだけあってこのあたりの標高はけっこう高く、ここから目黒川に向かって急坂になっている。古墳からだと建物にさえぎられて見えないが、すぐ近くの西郷山公園も同じような立地で、眺望のよい高台だ。目黒川の反対側には東山貝塚遺跡があるが、ここも東「山」というだけあってちょっと高台になっている。渋「谷」に代官「山」、東「山」、そして貝塚と古墳。地形と遺跡との密接な関係もまたおもしろい。

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2018年3月 9日 (金)

GP Car Story vol.11 Ferrari F187

 三栄書房の「GP Car Story」第11号「Ferrari F187」は、1987年のフェラーリF187の特集号だ。この年、タイトル争いを演じたのはウィリアムズ、マクラーレン、ロータスの3チームで、名門スクーデリア・フェラーリは低迷が続いた。当時は1500㏄V6ターボエンジンだったが、信頼性が低く、完走もおぼつかなかったのだ。そんな中、10年ぶりに日本GPが鈴鹿サーキットで開催されることになり、日本のファンの視線はホンダエンジンを搭載するウィリアムズとロータスに注がれた。その期待を裏切るかのように、予選から鮮やかな活躍を見せたのがフェラーリF187を駆るゲルハルト・ベルガーだった。ベルガーは続くオーストラリアGPでも勝利を挙げ、トップドライバーの仲間入りを果たす。しかし、翌1988年はマクラーレンのアラン・プロスト&アイルトン・セナが16戦中15勝を挙げ、フェラーリは奇跡の1勝を挙げるのみにとどまった。しかも、その勝利を見届けることもかなわず、チームの創始者エンツォ・フェラーリは死去してしまう。結局、フェラーリF187で挙げたベルガーの勝利が、エンツォにとって生涯最後の勝利となった。

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2018年3月 7日 (水)

GP Car Story vol.2 Ferrari 641/2

 三栄書房の「GP Car Story」第2号「Ferrari 641/2」は、1990年のフェラーリ641/2の特集号だ。F1チームの名門中の名門スクーデリア・フェラーリにとって、1980年代は苦難の日々だった。1982〜1983年はコンストラクターズ・チャンピオンを獲得したものの、絶大な人気を誇ったエース ジル・ヴィルヌーヴが事故死、ティフォシを悲嘆の涙に暮れさせた。その後はマクラーレンやウィリアムズが圧倒的な戦闘力を誇り、優勝争いに加わることも至難の業となった。そんな中、1988年にはチームの創始者エンツォ・フェラーリが死去、チームにとって一つの時代に終止符が打たれた。明けて1990年、前年チャンピオンのアラン・プロストを迎え、久しぶりに高い戦闘力を発揮したのがフェラーリ641/2だ。エンジンはフェラーリ伝統のV12を搭載、セミオートマチックトランスミッションの信頼性も向上し、中盤戦ではマクラーレンMP4/5Bを寄せ付けない速さを見せた。この641/2、歴代フェラーリ、いや全F1マシンの中でも屈指の美しさだと思う。設計はマクラーレンMP4シリーズと同じ、ジョン・バーナードだ。

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2018年2月22日 (木)

GP Car Story vol.21 McLaren MP4/5

 三栄書房の「GP Car Story」第21号「McLaren MP4/5」は、1989年のマクラーレンMP4/5の特集号だ。前年まで認められていたターボエンジンはこの年から禁止され、自然吸気エンジンとなった。新レギュレーションに対し、ホンダとルノーはV型10気筒、フェラーリはV型12気筒、コスワースはV型8気筒エンジンを投入したが、トータルパッケージでマクラーレンの優位は変わらなかった。MP4/5はアイルトン・セナが6勝、アラン・プロストが4勝と、前年の計15勝には及ばないものの、タイトル争いでは他チームを寄せ付けなかった。しかし、セナとプロストとの関係は悪化、日本GPでは鈴鹿のシケインでセナとプロストがクラッシュするという非常に後味の悪い結末となった。ターボエンジンに比べて自然吸気エンジンのエキゾーストノートは甲高く、いい音だった。ぼくもエンジン音を収録したCDを何枚も買って聞いていた。ただ、ホンダ・ミュージックと呼ばれたホンダエンジンのエキゾーストノートも、フェラーリにはかなわなかったと思う。

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2018年1月30日 (火)

GP Car Story Lotus 1977-1979 The Last Glory

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「Lotus 1977-1979 The Last Glory」は、いまはなき名門チーム・ロータスの1977〜1979年の栄光の日々を特集している。コーリン・チャップマンが設立したロータスは、1958年にF1GPに参戦、ジム・クラークやヨッヘン・リント、エマーソン・フィッティパルディが何度もチャンピオンを獲得するなど、第一線で活躍する。そして1977年、ロータスはグランド・エフェクト・カー(ウイング・カー、ベンチュリー・カー)という画期的なマシンを投入、1978年にはロータス79を駆るマリオ・アンドレッティがチャンピオンに輝く。グランド・エフェクト・カーは車体下面と地面の間を流れる空気流を利用してダウンフォースを得るもので、これによってコーナリングスピードは大幅にアップ、他チームもこぞってコピーした。しかし、ロータスの栄光もこのあたりまでで、チャップマンは1982年に急死、1980年代半ばにはアイルトン・セナが第一線で活躍するものの、1994年のシーズン終了をもってチームは解散してしまう。1977年の日本GPにはアンドレッティがロータス78を駆って参戦したこともあってか、このマシンは大人気で、ぼくもプラモデルを作った記憶がある。

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2018年1月29日 (月)

GP Car Story vol.17 Lotus 99T

 三栄書房の「GP Car Story」第17号は、1987年のロータス99Tの特集号だ。前年までルノーエンジンを搭載し、JPSカラーだったロータスは、この年ホンダエンジンを獲得、キャメルイエローへと大胆な変身を遂げる。ドライバーは3年目のアイルトン・セナに加え、日本人初のフル参戦となる中嶋悟。99Tの最大の特長はアクティブサスペンションで、走行中のデータをもとにコンピューターが油圧式アクチュエータを制御するという画期的システムだった。ロータスは1980年代初めからアクティブサスの開発に着手していたが、本格的に投入するのは1987年が初めてだった。アクティブサスが理論どおりに機能すれば、マシンの姿勢が安定し、空力性能も最大限発揮されるはずだったが、当時のコンピューターの性能不足や信頼性不足により、セナの2勝にとどまった。その後ウィリアムズがもっとシンプルなアクティブサスを開発、大成功を収めた。

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2018年1月28日 (日)

GP Car Story PROST vs SENNA vs SCHUMACHER

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「PROST vs SENNA vs SCHUMACHER」は、1993年のアラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハーの戦いを特集している。すでに3人とも伝説のチャンピオンとなったが、プロストは4度のチャンピオンで通算51勝、セナは3度のチャンピオンで通算41勝、シューマッハーは7度のチャンピオンで通算91勝と、いずれも偉大な記録を残した。1993年は、ウィリアムズのプロスト、マクラーレンのセナ、ベネトンのシューマッハーがフルシーズン戦った最初で最後のシーズンだ。この年もウィリアムズは別次元の速さを見せ、タイトル争いはプロストの圧勝だったが、それでもセナとシューマッハーは多くの見せ場をつくり、シーズンを盛り上げた。中でも第3戦ヨーロッパGPと第15戦日本GPとは、雨を味方につけたセナがマシンの性能差をひっくり返して優勝、記憶に残るレースとなった。

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2018年1月26日 (金)

GP Car Story vol.13 Williams FW11

 三栄書房の「GP Car Story」第13号は、1986〜1987年のウィリアムズFW11(B)の特集号だ。1983年、F1GPに復帰したホンダは、ウィリアムズにV型6気筒ターボエンジンを供給する。翌1984年、ケケ・ロズベルグによって初勝利を挙げたウィリアムズ・ホンダは、ロズベルグ&ナイジェル・マンセルによって1985年終盤に3連勝し、ネルソン・ピケ&マンセルという態勢で1986年のシーズンに臨んだ。ホンダエンジンはその強力なパワーもさることながら、走行中のデータを無線によってリアルタイムで収集するテレメトリーシステムという画期的な手法を導入していた。当時のターボエンジンは1500㏄だったが、軽く1000馬力以上は出ていたといわれている。まさにモンスターマシンだが、F1マシンはエンジン、シャシー、サスペンション、空力性能、タイヤなどのトータルパッケージで性能が決まるので、現在のF1エンジンとは単純に比較できない。ウィリアムズは2年連続でコンストラーズタイトルを、1987年にはピケもドライバーズタイトルを獲得、最速マシンの名をほしいままにした。

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2018年1月25日 (木)

GP Car Story vol.10 McLaren MP4/7A

 三栄書房の「GP Car Story」第10号は、1992年のマクラーレンMP4/7Aの特集号だ。アイルトン・セナ&ゲルハルト・ベルガーで8勝を挙げた前年のチャンピオンマシンMP4/6に引き続き、MP4/7AもホンダV型12気筒エンジンを搭載、さらにセミオートマチックトランスミッションやドライブ・バイ・ワイヤというハイテクウェポンも導入したが、ライバルのウィリアムズ・ルノーは圧倒的なパフォーマンスを誇り、さしものマクラーレン・ホンダもまったく歯が立たないシーズンだった。ウィリアムズFW14Bはルノーエンジンの強力なパワーもさることながら、リアクティブサスペンションも実戦的で、車載カメラ映像を見てもその優位性は明らかだった。マクラーレンの映像がブレまくるのに対し、ウィリアムズの映像は実に安定しているのだ。当時3500㏄だったF1マシンのエンジンも、はじめはV12が有利だと思われていたが、ルノーはV10がベストであることを証明した。マクラーレンは初のフル参戦となったミハエル・シューマッハのベネトンにも追い上げられる苦しいシーズンとなったが、それでもセナ・ベルガーの2人で5勝を挙げた。

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2018年1月23日 (火)

GP Car Story AYRTON SENNA

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「AYRTON SENNA」は、「日本人から見たアイルトン・セナ」を特集している。10年ぶりのF1日本GP開催を翌年に控えた1986年、タイトル争いはアラン・プロスト(マクラーレン)、ネルソン・ピケ(ウィリアムズ)、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)、アイルトン・セナ(ロータス)の4強によって最終戦までもつれ込み、大いに盛り上がった。そして迎えた1987年日本GP、ピケとマンセルとのタイトル争いは予選であっけなく決着、地元鈴鹿サーキットで初勝利を熱望するホンダ勢をあざ笑うかのように、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが鮮やかな勝利を飾る。新兵器アクティブ・サスペンション投入も戦闘力の上がらないロータスのセナは、ガマンの走りで2位に終わった。ここから7年間にわたって、「セナの鈴鹿物語」が始まる。以降、とても後味の悪いレースもあったが、セナは毎年鈴鹿でドラマを見せてくれた。そして1993年日本GP、セナは最後の鈴鹿で有終の美を飾り、宿命のライバルプロストと共に表彰台に上がるのだった。

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