ベルリンの壁
第2次世界大戦後、ドイツは東ドイツ(DDR)と西ドイツ(BRD)に分裂、東ドイツ内にあったベルリンも、東ベルリンと西ベルリンに分割された。しかし、東西ベルリン間は自由に往来できたため、生活水準の低い東側から、経済成長を続ける西側への人口流出が激増、東ドイツ政府は深刻な危機感を抱いた。こうした中、東ドイツ政府は1961年8月13日、突如として東西ベルリンの境界線を封鎖し、有刺鉄線を張り巡らせた。その後、有刺鉄線の代わりに高さ3mの壁を建設、西ベルリンは壁に包囲されることになった。ベルリンの壁は、西側陣営の侵入を防ぐというよりも、東側の国民を逃がさないために作られたのだ。壁が建設されたのは東西の境界線上ではなく、東側にちょっと入ったところだ。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊後、壁はほとんど取り壊されたが、いまはところどころに、しるしが残されている。