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記録的猛暑もようやく終わりが見えてきた。月は6日下弦、15日新月、22日上弦、29日満月だ。15日は金環日食が起こるが、日本では見られない。29日は日本全国で部分月食が見られる。10月は小規模ながら複数の流星群が活動する。10月りゅう座流星群(ジャコビニ流星群)が8日頃、オリオン座流星群が22日頃、それぞれ極大となる。水星は20日に外合となり、日の出前の東の空から日没後の西の空に移るが、太陽に近く観察は難しい。金星は24日に西方最大離角となり、明けの明星として輝いている。火星は太陽に近く、観察は難しい。木星は11月3日の衝を控え、明るく輝いている。8月27日に衝となった土星もまだ見頃だ。秋の星空は、一見すると地味だが、アンドロメダ銀河をはじめ大型の星雲星団銀河が多く、天体写真ファンには見逃せない季節だ。国立天文台HPより。
macOS 14 Sonomaがリリースされた。いつものようにメインマシンはすぐにはアップグレードせず、サブマシンのMacBook Airでしばらく挙動を確かめる。大きく変わった点として、まずはスクリーンセーバーがある。世界中の美しい風景が用意されていて、しかもスクリーンセーバーの画像がそのままシームレスにデスクトップの壁紙になる。ウィジェットは、これまでメニューバーの日付・時刻をクリックするなどして表示していたが、デスクトップに置けるようになった。しかも、他のウインドウを開くと、ウィジェットがデスクトップに溶け込んで目立たなくなるので、目障りになることはない。これ以外にもいろいろ新機能があるようなので、しばらく試してみようっと。
9月29日は満月だが、この日は太陰太陽暦の8月15日(十五夜)に当たるので、中秋の名月となる。中秋の名月の夜に月見をする慣習は、かなり昔からあるということだが、これはやはり農作物の収穫期と関係があったんだろう。春夏の間農作業に追われ、収穫できるかどうかというプレッシャーに押しつぶされそうになっていた人々が、無事に収穫できた喜びは大きかったろう。ちょうど里芋の収穫期であることから、芋名月とも呼ばれている。また、気温が下がり、過ごしやすい気候になっていること、湿度が下がり、空気が澄んでくること、月が適度な高さに昇り、見やすいことなんかも関係があるのかもしれない。中秋の名月の1ヶ月後、太陰太陽暦の9月13日(十三夜)にも月見をする慣習があり、この日の月は「後の月」と呼ばれる。
トム・クルーズを一躍スターダムに押し上げた映画「トップガン」。その36年ぶりの続編となるのが、「トップガン マーヴェリック」だ。トップガン史上最高のパイロットでありながら、常識破りな性格で組織から追いやられたピート・”マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐(クルーズ)。計画凍結の危機にあった極超音速機でマッハ10を達成するなど、相変わらずの凄腕ぶりを見せるが、その直後にテスト機を墜落させ、さらに立場を悪化させていた。そんな中、かつてのライバルであり親友でもあるトム・”アイスマン”・カザンスキー海軍大将(ヴァル・キルマー)の強い要請により、トップガンの教官を務めるよう命じられる。その真の目的は、ならず者国家がひそかに建設中のウラン濃縮プラントを破壊するという、不可能ともいえるミッションを遂行することにあった。というわけでマーヴェリックは、鼻っ柱の強い若手トップガンたちを、悪戦苦闘しながら指導していく。実際にコクピットにカメラを搭載して撮影した映像は迫力満点で、前作同様スカッとさわやかな結末だ(戦争にならなくてよかったよかった)。
キアヌ・リーヴス主演の映画「ジョン・ウィック」シリーズ第4作「ジョン・ウィック:コンセクエンス」は、ウィックと首席連合の最後の戦いを描いた物語だ。裏社会の掟を破ったウィックは、主席連合に追われながらも、ニューヨークの地下組織の情報王パワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)とともに地下に身を潜めていた。しかし、主席連合内で権力を握った若きヴィンセント・デ・グラモン侯爵は、ニューヨークのコンチネンタルホテルを爆破、ウィックの旧友でもある殺し屋のケイン(ドニー・イェン)を強引に引き入れ、ウィック狩りに乗り出す。というわけで、ウィックと主席連合の戦いがニューヨーク、ベルリン、パリ、大阪で繰り広げられるという展開だ。裏社会の殺し屋たちが使うコンチネンタルホテルが大阪にもあったとは、なんともおそろしい話だが、ここの支配人を演じるのは真田広之だ。「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」で盲目のチアルート・イムウェを演じたイェンは、本作でも盲目の殺し屋ケインを演じている。
今日はさそり座の1等星アンタレスが月に隠される「アンタレス食」が起こる。場所によって潜入・出現時刻は違うが、日本ではどこも日没前の潜入なので、これを観察するのは難しい。出現は日没後だが、西日本では日没が遅く、まだ暗くなっていないため、双眼鏡か望遠鏡が必要だ。東日本では日没が早いので、観察しやすい。恒星は点像なので、一瞬にして出現する。予報時刻が近づいたら、目を離さないようにしよう。
第2次世界大戦後、ドイツは東ドイツ(DDR)と西ドイツ(BRD)に分裂、東ドイツ内にあったベルリンも、東ベルリンと西ベルリンに分割された。しかし、東西ベルリン間は自由に往来できたため、生活水準の低い東側から、経済成長を続ける西側への人口流出が激増、東ドイツ政府は深刻な危機感を抱いた。こうした中、東ドイツ政府は1961年8月13日、突如として東西ベルリンの境界線を封鎖し、有刺鉄線を張り巡らせた。その後、有刺鉄線の代わりに高さ3mの壁を建設、西ベルリンは壁に包囲されることになった。ベルリンの壁は、西側陣営の侵入を防ぐというよりも、東側の国民を逃がさないために作られたのだ。壁が建設されたのは東西の境界線上ではなく、東側にちょっと入ったところだ。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊後、壁はほとんど取り壊されたが、いまはところどころに、しるしが残されている。
ブランデンブルク門の西に広がるティーアガルテンは、かつては王家の狩猟場だった。ほぼ真ん中を6月17日通りが東西に走り、中心部に戦勝記念塔がある。散策すると気持ちがいいだろうが、ちょっと広いので、シェアサイクルやシェア電動キックボードを利用するのもいい。ぼくはLimeという電動キックボードを利用したが、ベルリンは安心して自転車やキックボードに乗れる環境が整備されている。朝夕の通勤時間帯は、自転車通勤する人がいっぱいいて、幼児を乗せたトレーラーを引っ張るお母さんもよく見かけた。東京にも自転車レーンがあるが、だいたいどこかでクルマが駐停車していて、自転車の通行を妨げている。ベルリンと東京ではいろいろ事情が違うんだろうが、なんとかしてほしいもんだ。
ドイツ陸軍参謀大佐クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは1944年7月20日、アドルフ・ヒトラー暗殺計画を実行する(7月20日事件)。成功していれば歴史が変わってであろうこの計画は不運にも失敗、シュタウフェンベルクらは即席軍事裁判で死刑を宣告され、深夜、陸軍最高司令部の中庭で銃殺された。いまは連邦国防省となったこの建物には、ドイツ抵抗記念館が置かれ、ヒトラーやナチスに対する抵抗運動に関わった人たちの展示がある。とりわけシュタウフェンベルクの執務室だった部屋には、シュタウフェンベルクの生涯を振り返る多くの写真が展示されていて興味深い。7月20日事件を描いた映画「ワルキューレ」の最後、シュタウフェンベルク(トム・クルーズ)が銃殺されるシーンも、この中庭で撮影された。
1791年竣工のブランデンブルク門は、ベルリンのシンボルだ。ここから東に向かうと、森鴎外の「舞姫」にも登場する大通りウンター・デン・リンデンを経てかつてのベルリン王宮に至り、すぐ西にはティーアガルテンという公園が広がる。門の上にある勝利の女神ヴィクトリア像は、ナポレオン・ボナパルトによって一時持ち去られたが、後に取り戻された。第2次世界大戦後は、ブランデンブルク門のすぐ西側に東西の境界線が引かれ、1961年にはベルリンの壁が築かれた。その後は無人地帯となったが、1989年に壁が撤去されると、アメリカ、イギリス、フランスの大使館やホテルが建設され、一大観光名所となった。ブランデンブルク門の東に立つと、ティーアガルテンの中心にある戦勝記念塔が見える。