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夏目漱石「三四郎」「休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町の門からはいった。」 母親から手紙で野々宮宗八を訪ねるよういわれた三四郎は、理科大学(後の理学部)に向かう。高等学校というのは旧制一高のことで、1935年(昭和10年)に農学部とキャンパスを交換するまではいまの文京区弥生にあった。「弥生町の門」はいまの弥生門のことだろうが、これは現在もある。残念なことに、新型コロナウイルス感染症対策のため、東大構内には関係者しか入れない。
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