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江戸城本丸天守は3度築かれたが、1657年の明暦の大火で焼失した後は再建されなかった。徳川家康の孫で家光の異母弟 保科正之が、天守は城の守りには必要ない、江戸市街の復興を優先するためムダな支出をすべきでないと主張したがその理由だという。天守があった時代、本丸御殿前に出ると、奥には壮大な天守が見えたことだろう。豊臣秀頼の妻でもあった家康の孫 千姫(家光の姉)が住んだ竹橋からなら、もっとよく見えたに違いない。
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