本郷台地⑪
本郷台地の南端は、神田川で分断されて駿河台となっている。御茶ノ水駅あたりから神田川を眺めると、自然にできた川と渓谷というにはちょっと違和感があるが、それもそのはず、神田川は人工的に切り開かれた川だ。神田川が開削され、本郷台地と駿河台が分断されたのは江戸時代初期で、工事を担当したのは仙台藩 伊達政宗だ。もともとこのあたりは神田山といったが、これを切り崩して日比谷入江を埋め立てたところ、旧平川の流れが滞ったので、神田川を開削したという。駿河台と名付けられたのは、徳川家康死後、駿府から帰ってきた旗本衆が住んだからとも、富士山がよく見えたからとも言われている。その後、この地には旗本衆の子弟のため多くの学校が建てられ、学生街へと発展していく。
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