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1972年に週刊少年チャンピオンで連載が始まった「ドカベン」がついに最終回を迎えた。ぼくも野球少年だったので、野球マンガはいろいろ読んだが、やはり「巨人の星」と「ドカベン」、そして「アストロ球団」の3つは野球マンガの金字塔だ。「巨人の星」と「アストロ球団」は「あしたのジョー」のようにパッと咲いてパッと散っていったが、「ドカベン」は長きにわたって第一線で活躍した。対照的な生き方だが、どちらも印象深い。
野尻抱影(ほうえい)は天文ファンにはおなじみの天文民俗学者だ。日本各地はもちろん、世界中の星や星座の名前、伝説などを調べあげ、数多くの著作にまとめた。その中の1冊「新星座巡礼」は、もともとは1925年に刊行された「星座巡礼」を全面的に改稿したもので、全天に88ある星座のうち日本の夜空を回る約50の星座を、月を追って巡礼する天文エッセイだ。この本を読みながら、これまで撮影してきた写真をながめてみたら、マイナーな星座はちゃんと撮影していないことに気づいた。どうしてもメジャーな星座、メジャーな星雲星団銀河ばかりに目が行ってしまうのだ。今年の夏はマイナーな星座もちゃんと撮影しようっと。
7月は学校の夏休みが始まるので、家族連れで田舎に行く機会も多いだろう。子どもの自由研究に天体観測というのもおすすめだ。月は6日下弦、13日新月、20日上弦、28日満月だ。13日はオーストラリア南部で部分月食が見られるが、日本では見られない。28日未明から明け方にかけては皆既月食がある。薄明の中で月食が進み、皆既食が始まってすぐに日の出と月没ということで、赤銅色の月が暗い夜空に浮かぶいつもの光景とはまた違った趣だろう。惑星は観望好機で、特に上旬は水星、金星、火星、木星、土星が一晩でぜんぶ見られるほか、31日には火星が大接近する。押し入れの中に天体望遠鏡が眠っている人は、久しぶりに引っ張り出してみるといいだろう。光害が少ない田舎なら、月が出ていない夜は夏の天の川がよく見える。三脚でしっかり固定すれば、コンパクトデジタルカメラでも写るかもしれない。もうちょっと本格的に写したいなら、デジタル一眼レフカメラ+広角レンズ+ポータブル赤道儀で撮影するといい。タイムラプス動画も、一度撮影してみるとハマるかも。国立天文台HPより。
ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」は何度も映画化されているが、2012年公開の同名映画はミュージカル版の映画化作品だ。ぼくはあまりミュージカル映画を観たことがないが、普通は演技と歌は別々に収録するのが、本作ではその場でホントに歌いながら演技したという。ジャン・ヴァルジャン(ヒュー・ジャックマン)、ジャヴェール警部(ラッセル・クロウ)、ファンティーヌ(アン・ハサウェイ)などの登場人物が、みなすばらしい歌声の演技を見せてくれる。特に印象的なのがファンティーヌの「夢やぶれて」だが、恥ずかしながら、スーザン・ボイルが歌ったのがこの曲だったいうことは本作を観て初めて知った。ぼくも小説(新潮文庫全5巻)は中学生のときに読んだが、やはりこれは傑作ですな。
井沢元彦の「ビジュアル版 逆説の日本史」シリーズ第5巻「真説秀吉英雄伝」は、織田信長に続き天下人となった豊臣秀吉特集だ。卑賤の身から天下人にのぼりつめるその生涯は歴史上随一の大出世物語であり、信長、徳川家康と並ぶ戦国三英傑とされるのはいまさら言うまでもないだろう。秀吉の卓越した才能の一つは「人たらし」と呼ばれるほどの対人交渉能力で、信長に気に入られたのをはじめ、次々と有力者を取り込んでいく。ルックスは醜く、猿とか禿げ鼠とか呼ばれていたようだが、自虐ネタも繰り出して人心を掌握していったのかもしれない。しかし、天下人となった後の秀吉はどうもイメージが悪い。千利休や一時は後継者に指名した秀次の切腹など、ちょっと異常な事件も増えていく。今際の際に家康ら五大老を呼び出し、言い残したことは秀頼をよろしくということだけで、天下のことなど何一つ語っていない。「つゆとをち つゆときへにし わかみかな なにわの事も ゆめの又ゆめ」。天下人の辞世の句としてはただたださびしい。
10年くらい前に買って積んでおいたリチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」をようやく読了した。ぼくはもともと天文学者をめざしていたので、生物学は門外漢だが、この本は科学好きな人はやはり読む価値があると思う。ドーキンスは本来、動物行動学(エソロジー)者なので、いろいろな動物の一見不思議な行動がたくさん紹介されているが、これらが遺伝子中心の視点から明快に説明されるところが本書のおもしろさだ。「利己的な遺伝子」というタイトルを筆頭に誤解されやすい比喩が多用されるので、注意深く読まなければとんだ勘違いもしそうだが、社会に衝撃を与えた書という宣伝文句もおおげさではないと思う。本書の次には「延長された表現型」が控えているので、そのうち読み始めようっと。
2009年8月登場のMac OS X 10.6 Snow Leopardは、パッケージ販売された最後のMac OSだ。以後、Mac OSはMac App Storeでのダウンロード販売となる。歴代Mac OSのパッケージをコレクションしてきた人にはさびしい限りだろう。10.6では、長らくMacに搭載されていたアップル、IBM、モトローラ製のPowerPCがついに非対応となり、Intel Mac専用となった。Mac OS X 10.6は10.6.8までバージョンアップし、10.7(Mac OS X Lion)にバトンタッチする。なお、ちょっと古いMacを中古で入手してクリーンインストールする場合など、10.6のインストールディスクが必要なときがある。10.6をインストールした後でないと、10.7以降にバージョンアップできないのだ。
2007年10月登場のMac OS X 10.5 Leopardでは、ついにClassic Mac OSが非対応となった。Mac OS Xが登場して6年経ち、対応するアプリケーションソフトがかなり増えたので、自然の流れだと言えるだろう。初搭載のTime Machineはコンピュータ全体を自動的にバックアップする機能で、クラッシュ対策はもちろん、Macを買い換えるときにもとても役に立つ。ぼくも何度かiMacが突然死したことがあるが、Time Machineに救われた。Mac OS X 10.5は10.5.8までバージョンアップし、10.6にバトンタッチする。
2005年4月登場のMac OS X 10.4 Tigerでは、天気や時計などウィジェットと呼ばれる新しいアプリケーションにすばやくアクセスできるDashboardが初めて搭載された。これはなかなか便利で、ぼくも世界各地の時刻に合わせた時計をいくつも並べて表示できるようにしている。また、検索ソフトSpotlightも初搭載、Sherlock搭載はこれが最後となる。さらに、Mac OS X 10.3 Pantherで登場したiChat AVは、一度に4人でビデオ会議ができるようになった。Mac OS X 10.4は10.4.11までバージョンアップし、10.5にバトンタッチする。
2003年10月登場のMac OS X 10.3 Pantherでは、マイクロソフトのInternet Explorerに替わり、Safariが初めて搭載された。Macでは長らく、NCSA MosaicやNetscape Navigator、Internet Explorerといった他社製のブラウザを使うしかなかったが、アップル純正のウェブブラウザがようやく登場した。当初はちょっと使いづらいところがあったが、その後改善され、ぼくもメインのブラウザはSafariを使っている。Mac OS 10.3は10.3.9までバージョンアップし、10.4にバトンタッチする。
2002年8月登場のMac OS X 10.2 Jaguarでは、パフォーマンスが向上するとともに、iChatやアドレスブックといった新機能が加わった。iChatはバージョンアップを繰り返して現在の「メッセージ」に、アドレスブックも「連絡先」に進化している。それと、Classic Mac OSからのネットワーク技術Apple Talkに替わる新機能Rendezvousが登場、ネットワーク上の機器が面倒な設定なしで自動的に使えるようになった。Mac OS X 10.2は10.2.8までバージョンアップし、10.3にバトンタッチする。
2001年9月登場のMac OS X 10.1 Pumaは、本格的に仕事にも使える初めてのMac OS Xとなった。というのも、マイクロソフトOfficeが初めてMac OS Xに対応したのだ。ぼくも10.1登場をきっかけに、Mac OS 9からMac OS Xへと全面的に移行した。当時はPower MacやiBookも半透明デザインだったが、これがMac OS XのインターフェースAquaとはよく似合っていた。Mac OS X 10.1は10.1.5までバージョンアップし、10.2にバトンタッチする。
Mac OS X初の正式なバージョン10.0は、2001年3月に登場した。コードネームはCheetahで、これからしばらくは動物名が続く。最初は動作が遅い上に対応するアプリケーションソフトが出そろわず、実用にはまだ遠かった。ぼくも仕事にはMac OS 9を使い、慣れるためにときどきMac OS Xを使うという感じだった。Mac OS X 10.0はマイナーバージョンアップを繰り返し、最終的には10.0.4までバージョンアップしたが、本格的に使うには、2001年9月登場の10.1を待たねばならなかった。
スティーヴ・ジョブズとスティーヴ・ウォズニアックが創業したアップル・コンピュータ(現アップル)は、決して順調に成長したわけではない。一時はお家騒動が続き、創業者のジョブズは追放、業績も低迷した。一方、ジョブズはNeXTという会社を創業、ワークステーションを開発していたが、アップルは次世代Mac OS開発のため、NeXT社を買収する。こうしてジョブズがアップルに復帰するとともに、NeXT社のUNIX系OS OPENSTEPをベースにMac OS Xの開発がスタートする。Mac OS Xが初めて登場したのは2000年10月、ベータ版のPublic Betaで、まだ実用には遠かったが、まったく新しいインターフェースAquaのインパクトは大きかった。
2000年9月に登場したMac OS X以前、Mac OS 9までのOSはClassic Mac OSと呼ばれている。そのClassic Mac OSの最後を飾るのがMac OS 9で、1999年10月に登場した。検索ソフトSherlockは2にバージョンアップ、マルチユーザー対応になった。自動アップデートやキーチェーンを導入したのもMac OS 9が初めてだ。2001年3月にはまったく新しい設計のMax OS Xが登場したが、対応するアプリケーションソフトが出そろうのに時間がかかったため、しばらくはMax OS 9を並行して使うことが多かった。
1997年9月登場のMac OS 8はMac OS 8.1を経て、1998年10月にはMac OS 8.5へとバージョンアップした。Mac OS 8.5の最大の売りは検索ソフトSherlockで、これはもちろん名探偵シャーロック・ホームズにちなんで名付けられた。それと、アップルが初めてオンラインユーザー登録を実施したのもMac OS 8.5だ。一方で、動作機種はPowerPCを搭載するMacintoshのみとなり、モトローラ680x0搭載機種はMac OS 8.1が最終OSとなった。Mac OS 8は8.6までバージョンアップし、Mac OS 9にバトンタッチした。
1997年9月登場のMac OS 8は、それまでのMac OSでは最大の進化を遂げたバージョンだ。アップルの宣伝文句は「ユーザエクスペリエンスの追求」というもので、デスクトップのデザインや操作もかなり洗練された。以前のOSはちょっと不安定だったが、Mac OS 8になってからはかなり安定性も増した。ファイルのコピー中に他の作業を行うという、いまでは当たり前のマルチタスクな動作ができるようになったのもMac OS 8が初めてだった。Mac OS 8はその後8.1→8.5→8.6へとバージョンアップしていく。
その昔、アップル MacintoshのOSは漢字Talkというイマイチな名前だった。ぼくがMacintoshに移行したときの漢字Talkは7.5で、最終的に7.5.5までバージョンアップした。当時のOSはちょっと不安定で、新しいソフトをインストールするとしょっちゅうクラッシュした。こういうときはたいてい、システムフォルダの中の機能拡張ファイルがコンフリクトを起こしていたのだ。7.5.3や7.5.5までくるとかなり熟成され、快適になってきたが、1997年1月にMac OS 7.6が登場、漢字Talkという名称もお役御免となった。それにしても、いま思い起こすと、ネットワーク機能はかなり先進的だったなぁ。
007引退後のショーン・コネリーがマイケル・ケイン、クリストファー・プラマーと共演した映画「王になろうとした男」は、イギリスの作家ラドヤード・キップリングの小説を原作とした作品だ。イギリスの退役軍人ダニエル・ドレイボット(コネリー)とピーチ・カーネハン(ケイン)とは、新聞記者のキップリング(プラマー)を証人として契約を交わし、王になることを夢見てアフガニスタン辺境の国カフィリスタンへと向かう。2人は苦難の末カフィリスタンにたどり着くが、部族同士の戦いに介入する中で、幸運なできごとが積み重なり、ドレイボットは神シカンダーの息子だと崇め奉られるようになる。しかし、やはり人間は頂点を極めたときから転落が始まる。3年後、キップリングの前に姿を現したのは、みすぼらしい身なりのカーネハンだった。
宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」は、天文ファンなら誰でも1度は読んだことがあるだろう。賢治は天文や地学にとても興味を持っていたようで、「銀河鉄道の夜」にも天文・地学関連の話がたくさん出てくる。小説の舞台はいまのJR釜石線をモデルにしたといわれているが、日高本線がモデルじゃないかという説もあるそうだ。なんでも、「銀河鉄道の夜」を書き上げる直前、賢治は花巻農学校の修学旅行の引率で苫小牧を訪れていて、日高本線の前身 王子軽便鉄道に興味を持ったかもしれないというのだ。それはともかくジョバンニは、カムパネルラとともに北十字(はくちょう座)から南十字(みなみじゅうじ座)までを旅する中で、神秘的な体験をする。「天気輪」など、具体的に何を意味するのかわからないものもあり、謎も秘めた作品だ。この「銀河鉄道の夜」、KAGAYAスタジオがプラネタリウム番組を制作していて、全国のプラネタリウムで人気番組となっている。ブルーレイも発売されているので、プラネタリウムに行かなくても視聴できる。
お笑いスパイものというと「オースティン・パワーズ」とか「ジョニー・イングリッシュ」あたりが最高峰?だが、1960年代に日本で「それ行けスマート」として放送された「ゲット スマート(Get Smart)」も人気シリーズだ。2008年公開の映画「ゲット スマート」では、アメリカの秘密諜報機関コントロールのスパイ エージェント86ことマックスウェル・スマート(スティーヴ・カレル)が、美貌の女スパイ エージェント99(アン・ハサウェイ)とコンビを組み、国際犯罪組織カオスの陰謀から世界を救うためにドタバタ劇を繰り広げる。飛行中の旅客機からのスカイダイビングシーンは007「ムーンレイカー」を思い切りパクっていて、ジョーズのような大男も登場するなど、「007」や「M:I」のパロディもしっかり盛り込んでいる。コントロールの敏腕スパイ エージェント23を演じるドウェイン・ジョンソンは、トランプ大統領も出場したアメリカのプロレス団体WWEの大スターだ。
イギリスの作家ヘンリー・ライダー・ハガードの冒険小説の主人公アラン・クォーターメインが活躍する映画「キング・ソロモンの秘宝2/幻の黄金都市を求めて」は、クォーターメイン(リチャード・チェンバレン)が幻の黄金都市を求めて冒険の旅に出る物語だ。クォーターメインとジェシー・ヒューストン(シャロン・ストーン)は結婚式を挙げるためにアメリカに向かうところだったが、クォーターメインの弟ロブソンが参加する探検隊が幻の黄金都市を発見したと知らされ、ロブソンの後を追うことを決心する。同行するのはヒューストンと勇者アンソロポガス(ジェームズ・アール・ジョーンズ)らだった。クォーターメインらは苦難の旅の末ロブソンがいる黄金都市にたどり着くが、そこでもまた数々の困難が待ち受けていた。といいつつ、軽いタッチのコミカルな展開だ。
イギリスの作家ヘンリー・ライダー・ハガードの冒険小説の主人公アラン・クォーターメインは、インディ・ジョーンズのモデルともいわれるキャラクターだ。1885年発表の「ソロモン王の洞窟」に登場したクォーターメインは、その後数々の小説の中で世界中の秘境を探検する。リチャード・チェンバレン主演の映画「ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝」(1985年)は、その「ソロモンの洞窟」の2度目の映画化作品だ。ソロモン王は古代イスラエルの王で、シバの女王とも会談したという伝説的な人物だが、ソロモンの秘宝を追い求めて行方不明になったヒューストン教授を探すため、娘のジェシー・ヒューストン(シャロン・ストーン)の依頼を受けたクォーターメイン(チェンバレン)が大活躍する。1981年に始まった映画インディ・ジョーンズ シリーズの雰囲気にもよく似ている。
井沢元彦の「ビジュアル版 逆説の日本史」シリーズ第4巻「信長全史」は、日本史の大スター 織田信長特集だ。信長の人生はもう何十回(何百回?)も映像化されているから、誰もが知っているだろうが、幼少期は「うつけ」と呼ばれながらも、数々の革命的な政策によって天下人に昇りつめ、本能寺の変で悲劇の最期を遂げるという、これ以上ドラマチックな人生は考えられないという人物だ。信長あたりの時代になると古代よりもかなり詳しくいろんなことが伝わっているが、それでも多くの謎があり、歴史ファンにとってあれこれ考える楽しみがある。井沢も本書で、残虐で冷酷なイメージの強い信長の虚像と実像を整理し、信長の人間像に迫っている。信長の肖像も、有名な長興寺の肖像画以外にいくつかあり、それぞれイメージがちょっと違う。いったいどれがホントの信長に近いのだろうか。ところで、信長のデスマスクがあるとか。ホンモノかどうかぜひ解明してほしいもんだ。
天体写真撮影を始めると、いずれは天体望遠鏡を使った撮影をしたくなる。望遠鏡をカメラレンズのように使う方法は直焦点といって、望遠鏡の焦点距離がそのままレンズの焦点距離となる。ぼくはトミーテック製のミニボーグという望遠鏡を2本持っているが、1本は口径45㎜・焦点距離325㎜、もう1本は口径60㎜・焦点距離350㎜だ。実際には、これにレデューサーという補正レンズを組み合わせるので、焦点距離はそれぞれ276㎜、298㎜となる。これくらいの焦点距離になると、大きな星雲星団銀河ならかなりの大迫力画像が撮影できる。ちなみに、キャノン純正のレンズEF300㎜ F4は20万円もするが、ミニボーグ45EDⅡレンズ(生産終了)は3万円だった。一般的に、値段が高ければ高いほど高性能だが、カメラレンズと望遠鏡レンズはそもそも使い方が違うため、値段は比較にならない。数m先から無限遠までピントが合うカメラレンズと、無限遠だけピントが合えばいい望遠鏡レンズでは、まったく設計が違うのだ。なお、焦点距離が長くなればなるほど、赤道儀のセッティングはシビアになるので、撮影も大変になる。
キャノン唯一の一眼レフフィルムカメラEOSー1vがついに販売終了となった。ぼくがフィルム時代に使っていたのはアサヒペンタックスSPとSPFだったが、当時はキャノンやニコン、オリンパス、ミノルタ、コンタックスなど多くのメーカーがしのぎを削っていた。その中でも最高峰といわれたのがキャノンFー1やニコンF2で、ファンには垂涎の的だった。そのキャノンFー1もEOSシリーズに取って代わられ、EOSシリーズの主流もデジタル化して久しいが、EOSー1vはフィルムカメラ最後のモデルとしてがんばっていた。記念にコレクションしておきたいところだが、高いし、置き場所ないからなぁ。