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2018年1月

2018年1月31日 (水)

皆既月食

 今夜は皆既月食だ。いつも使っている天体撮影専用キャノンEOS60Daは北海道にあるので、10年前のキャノンEOS Kiss Digital Xを引っ張り出して撮影する予定だが、ちょっとテスト撮影をしてみた。いまや天体撮影に必須のライブビューもバリアングル液晶モニタも装備していないので、ピント合わせがとにかく大変だ。この写真もちょっとピンボケなので、本番ではしっかりピント合わせをしなければ。しかし、天気予報を見ると、どうにも雲行きがあやしい。う〜ん・・・
2018年1月28日撮影 キャノンEOS Kiss Digital X+ミニボーグ45EDⅡ+レデューサー0.85×DG、露出1/2000秒

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2018年1月30日 (火)

GP Car Story Lotus 1977-1979 The Last Glory

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「Lotus 1977-1979 The Last Glory」は、いまはなき名門チーム・ロータスの1977〜1979年の栄光の日々を特集している。コーリン・チャップマンが設立したロータスは、1958年にF1GPに参戦、ジム・クラークやヨッヘン・リント、エマーソン・フィッティパルディが何度もチャンピオンを獲得するなど、第一線で活躍する。そして1977年、ロータスはグランド・エフェクト・カー(ウイング・カー、ベンチュリー・カー)という画期的なマシンを投入、1978年にはロータス79を駆るマリオ・アンドレッティがチャンピオンに輝く。グランド・エフェクト・カーは車体下面と地面の間を流れる空気流を利用してダウンフォースを得るもので、これによってコーナリングスピードは大幅にアップ、他チームもこぞってコピーした。しかし、ロータスの栄光もこのあたりまでで、チャップマンは1982年に急死、1980年代半ばにはアイルトン・セナが第一線で活躍するものの、1994年のシーズン終了をもってチームは解散してしまう。1977年の日本GPにはアンドレッティがロータス78を駆って参戦したこともあってか、このマシンは大人気で、ぼくもプラモデルを作った記憶がある。

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2018年1月29日 (月)

GP Car Story vol.17 Lotus 99T

 三栄書房の「GP Car Story」第17号は、1987年のロータス99Tの特集号だ。前年までルノーエンジンを搭載し、JPSカラーだったロータスは、この年ホンダエンジンを獲得、キャメルイエローへと大胆な変身を遂げる。ドライバーは3年目のアイルトン・セナに加え、日本人初のフル参戦となる中嶋悟。99Tの最大の特長はアクティブサスペンションで、走行中のデータをもとにコンピューターが油圧式アクチュエータを制御するという画期的システムだった。ロータスは1980年代初めからアクティブサスの開発に着手していたが、本格的に投入するのは1987年が初めてだった。アクティブサスが理論どおりに機能すれば、マシンの姿勢が安定し、空力性能も最大限発揮されるはずだったが、当時のコンピューターの性能不足や信頼性不足により、セナの2勝にとどまった。その後ウィリアムズがもっとシンプルなアクティブサスを開発、大成功を収めた。

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2018年1月28日 (日)

GP Car Story PROST vs SENNA vs SCHUMACHER

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「PROST vs SENNA vs SCHUMACHER」は、1993年のアラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハーの戦いを特集している。すでに3人とも伝説のチャンピオンとなったが、プロストは4度のチャンピオンで通算51勝、セナは3度のチャンピオンで通算41勝、シューマッハーは7度のチャンピオンで通算91勝と、いずれも偉大な記録を残した。1993年は、ウィリアムズのプロスト、マクラーレンのセナ、ベネトンのシューマッハーがフルシーズン戦った最初で最後のシーズンだ。この年もウィリアムズは別次元の速さを見せ、タイトル争いはプロストの圧勝だったが、それでもセナとシューマッハーは多くの見せ場をつくり、シーズンを盛り上げた。中でも第3戦ヨーロッパGPと第15戦日本GPとは、雨を味方につけたセナがマシンの性能差をひっくり返して優勝、記憶に残るレースとなった。

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2018年1月27日 (土)

ビジュアル版 逆説の日本史3 中世編

 井沢元彦の「ビジュアル版 逆説の日本史」シリーズ第3巻「中世編」は、平安時代末期から室町時代末期までのトピックスを取り上げている。平将門の乱でも重要な役割を演じた平氏と源氏だったが、その子孫たちはその後歴史の舞台の主役となっていく。平氏嫡流からは平清盛率いる平家が登場、平氏政権を樹立するが、長くは続かなかった。源平の合戦を制し、鎌倉に武家政権を成立させた源頼朝率いる源氏も、頼朝と義経との対立や将軍暗殺などのトラブルが続き、平氏傍流の北条氏に実権を奪われてしまう。北条氏も一時は絶大な権力を握るが、後醍醐天皇や北条氏に不満を募らせた御家人たちによって打倒される。しかし、後醍醐天皇と足利尊氏も対立、朝廷まで分裂したばかりか、尊氏・直義兄弟も対立するなど、とにかく血で血を洗う抗争が繰り返される。こんな時代だから、表向きは事故死や病死であっても、実は暗殺だったということがあってもおかしくない。井沢は源頼朝と足利義満も暗殺されたのではないかと述べていて、なかなか興味深い。

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2018年1月26日 (金)

GP Car Story vol.13 Williams FW11

 三栄書房の「GP Car Story」第13号は、1986〜1987年のウィリアムズFW11(B)の特集号だ。1983年、F1GPに復帰したホンダは、ウィリアムズにV型6気筒ターボエンジンを供給する。翌1984年、ケケ・ロズベルグによって初勝利を挙げたウィリアムズ・ホンダは、ロズベルグ&ナイジェル・マンセルによって1985年終盤に3連勝し、ネルソン・ピケ&マンセルという態勢で1986年のシーズンに臨んだ。ホンダエンジンはその強力なパワーもさることながら、走行中のデータを無線によってリアルタイムで収集するテレメトリーシステムという画期的な手法を導入していた。当時のターボエンジンは1500㏄だったが、軽く1000馬力以上は出ていたといわれている。まさにモンスターマシンだが、F1マシンはエンジン、シャシー、サスペンション、空力性能、タイヤなどのトータルパッケージで性能が決まるので、現在のF1エンジンとは単純に比較できない。ウィリアムズは2年連続でコンストラーズタイトルを、1987年にはピケもドライバーズタイトルを獲得、最速マシンの名をほしいままにした。

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2018年1月25日 (木)

GP Car Story vol.10 McLaren MP4/7A

 三栄書房の「GP Car Story」第10号は、1992年のマクラーレンMP4/7Aの特集号だ。アイルトン・セナ&ゲルハルト・ベルガーで8勝を挙げた前年のチャンピオンマシンMP4/6に引き続き、MP4/7AもホンダV型12気筒エンジンを搭載、さらにセミオートマチックトランスミッションやドライブ・バイ・ワイヤというハイテクウェポンも導入したが、ライバルのウィリアムズ・ルノーは圧倒的なパフォーマンスを誇り、さしものマクラーレン・ホンダもまったく歯が立たないシーズンだった。ウィリアムズFW14Bはルノーエンジンの強力なパワーもさることながら、リアクティブサスペンションも実戦的で、車載カメラ映像を見てもその優位性は明らかだった。マクラーレンの映像がブレまくるのに対し、ウィリアムズの映像は実に安定しているのだ。当時3500㏄だったF1マシンのエンジンも、はじめはV12が有利だと思われていたが、ルノーはV10がベストであることを証明した。マクラーレンは初のフル参戦となったミハエル・シューマッハのベネトンにも追い上げられる苦しいシーズンとなったが、それでもセナ・ベルガーの2人で5勝を挙げた。

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2018年1月24日 (水)

ベテルギウス

 オリオン座の1等星ベテルギウスは、太陽の1400倍もある赤色超巨星だ。その寿命は終わりに近づいていて、いつ超新星爆発してもおかしくない状態だと考えられている。太陽以外の恒星は点にしか見えないが、チリのアタカマ高地にある国立天文台の電波望遠鏡アルマ望遠鏡が、人間の視力でいうと4000を超えるという超高解像度で、ベテルギウスの様子をとらえた。これはなかなかすごい画像だ。いまの時期、19時くらいだと南東の空に赤く輝いているので、たまにはそんなことを考えながら見上げてみてはいかが?

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2018年1月23日 (火)

GP Car Story AYRTON SENNA

 三栄書房の「GP Car Story」特別編集号「AYRTON SENNA」は、「日本人から見たアイルトン・セナ」を特集している。10年ぶりのF1日本GP開催を翌年に控えた1986年、タイトル争いはアラン・プロスト(マクラーレン)、ネルソン・ピケ(ウィリアムズ)、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)、アイルトン・セナ(ロータス)の4強によって最終戦までもつれ込み、大いに盛り上がった。そして迎えた1987年日本GP、ピケとマンセルとのタイトル争いは予選であっけなく決着、地元鈴鹿サーキットで初勝利を熱望するホンダ勢をあざ笑うかのように、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが鮮やかな勝利を飾る。新兵器アクティブ・サスペンション投入も戦闘力の上がらないロータスのセナは、ガマンの走りで2位に終わった。ここから7年間にわたって、「セナの鈴鹿物語」が始まる。以降、とても後味の悪いレースもあったが、セナは毎年鈴鹿でドラマを見せてくれた。そして1993年日本GP、セナは最後の鈴鹿で有終の美を飾り、宿命のライバルプロストと共に表彰台に上がるのだった。

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2018年1月22日 (月)

GP Car Story vol.07 Williams FW16

 三栄書房の「GP Car Story」第7号は、1994年のウィリアムズFW16の特集号だ。ロードレース世界選手権(WGP)で活躍したホンダと同じロスマンズカラーだが、このマシンでアイルトン・セナが事故死したせいか、どうにも印象が悪いと思うのはぼくだけではないだろう。1987年のシーズン終了とともにホンダエンジンを失ったウィリアムズはその後、ルノーエンジンを搭載するが、1991年頃からウィリアムズ・ルノーはマクラーレン・ホンダを上回る戦闘力を見せ始める。特に、パトリック・ヘッド&エイドリアン・ニューウェイ設計の1992年のFW14B、そして1993年のFW15Cのパフォーマンスは圧倒的で、ライバルをまったく寄せ付けなかった。アラン・プロスト引退後、待望のウィリアムズ移籍を果たしたセナだったが、FW16は非常に神経質なマシンだったようで、セナをもってしてもドライブは難しかったようだ。前年までは認められた各種ハイテク装置が禁止されたのもその原因の一つだったとされている。

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2018年1月21日 (日)

皆既月食

 1月31日の夜は皆既月食が起きる。月が欠け始めるのは20:48、皆既食の始まりは21:51、皆既食の終わりは23:08だ。皆既中は月がまったく見えないわけではなく、赤銅色に輝く。今回はタイムラプス動画にでもしてみようかな。

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2018年1月20日 (土)

日本の歴史⑧ 南北朝の動乱

 集英社版「日本の歴史」シリーズ第8巻「南北朝の動乱」は、鎌倉時代末期から室町時代初期までの動乱の100年が舞台だ。鎌倉幕府成立によって日本国内には天皇と将軍という二つの権力が並び立つことになるが、この二つの権力はときに協調し、ときに対立する。しかも、それぞれには上皇や執権という存在があり、ときには天皇や将軍さえ実権のない傀儡と化してしまう。蒙古襲来をなんとか凌いだ鎌倉幕府だったが、得宗家の専制で御家人からの支持を失い、悪党や海賊の活動もあってその権力基盤は大きく揺らいでいく。このような中、公家を中心とする政治の復活をめざして倒幕に動いたのが後醍醐天皇だった。足利尊氏らの活躍によって鎌倉幕府を滅ぼし、建武の新政を断行しようとした後醍醐天皇は、よしあしは別として歴代天皇の中でもかなり強烈なキャラクターだったといえるだろう。しかし、後醍醐天皇と尊氏も結局は対立、さらには二人三脚で室町幕府成立を成し遂げた尊氏・直義兄弟も戦うことになってしまう。とにかく、天皇家も将軍家も、さらには有力守護までも分裂・抗争を繰り返すという時代だった。動乱の主役は権力者だけではない。百姓土民なども一味神水して、あくどい権力者に実力行使で立ち向かっていった。動乱の時代にひとまず終止符が打たれたのは、京都室町に「花の御所」が完成し、足利義満が幕府の中心に座ることになる頃だった。ところで、京都神護寺が所蔵する有名な伝源頼朝像は、最近では足利直義説が有力だ。同じく伝平重盛像は、足利尊氏ではないかという。とすると、昔の教科書に掲載されていた、太刀を担いだ騎馬武者像はいったい誰? これは足利家の執事だった高師直またはその一族ではないかというのが最近の説だ。歴史上の人物というのは、肖像画によってだいぶ先入観が入るので、イメージがガラッと変わってしまいそうだ。

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2018年1月19日 (金)

GP Car Story vol.05 Lotus 97T

 三栄書房の「GP Car Story」第5号は、1985年のロータス97Tの特集号だ。前年、トールマンでF1GPデビューを果たしたアイルトン・セナは名門ロータスに移籍、ルノーエンジンを搭載した97Tを駆って第2戦ポルトガルGPで早くも初優勝を果たす。設立者コーリン・チャップマンの死後、ロータスは低迷するが、ジェラール・ドゥカルージュ加入後は戦闘力を取り戻し、ドゥカルージュ設計の97Tはトップ争いにからむ速さを示した。セナはシーズンを通じて2勝7PP、チームメイトのエリオ・デ・アンジェリスも1勝1PPという好成績を残すが、マクラーレンやフェラーリが安定した速さを見せ、ホンダエンジンを獲得したウィリアムズも終盤に3連勝するなど、戦闘力を上げていく。それにしても、ロータスにはやはりJPSカラーが似合う。比較しては悪いが、キャメル・イエローはちょっとねぇ。

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2018年1月18日 (木)

GP Car Story vol.01 McLaren MP4/4

 三栄書房の「GP Car Story」第1号は、1988年のマクラーレンMP4/4の特集号だ。1988年のF1GPはターボエンジン最後のシーズンとなった。1980年代半ば、ターボエンジンのパワーがうなぎのぼりとなり、パワーユニットによってあまりにも差が開いたため、最大ブースト圧や燃料使用量を徐々に抑制しながら、最終的にターボエンジンは禁止されることになったのだ。前年までTAGポルシェエンジンを搭載して高い戦闘力を誇ったマクラーレンは、この年ついにホンダエンジンを獲得、2度の世界チャンピオンに輝くアラン・プロスト&アイルトン・セナという最強コンビを擁し、MP4/4で全16戦中15勝という圧倒的なパフォーマンスを見せる。MP4/4を設計したのはかつてブラバムにいたゴードン・マレーで、1986年のブラバムBT55と同じコンセプトのもとにデザインされたという。MP4/4はホンダのショールームでも何度か見たが、とにかく車高の低いマシンだった。

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2018年1月17日 (水)

キングスマン:ゴールデン・サークル

 ロンドンのサヴィル・ロウにある高級テーラー「キングスマン」。表の顔は高級テーラーだが、その実態は世界最強のスパイ機関だ。映画「キングスマン」でハリー・ハート(コリン・ファース)にスカウトされ、エース・エージェント「ガラハッド」の座を継いだゲイリー・”エグジー”・アンウィン(タロン・エガートン)が、続編の「キングスマン:ゴールデン・サークル」でいきなりキングスマン壊滅という危機に直面する。たった2人生き残ったエグジーとマーリン(マーク・ストロング)は、アメリカの同盟スパイ機関「ステイツマン」と合流、世界的麻薬組織「ゴールデン・サークル」との対決に挑む。というわけで、前作よりもさらにパワーアップしたブッ飛び系スパイ映画として、またもやハチャメチャな物語が展開される。「007」シリーズなど過去のスパイ映画へのオマージュ満載で、それに加えてイギリス文化とアメリカ文化の対比もおもしろい。テーラーとカウボーイ、スコッチとバーボン、ロックとカントリーなど。ゴールデン・サークルのアジトはさながら「アメリカン・グラフィティ」のダイナーだ。まあここのハンバーガーは食べたくないが。エルトン・ジョンも特別出演しているが、これまたブッ飛びキャラだ。それにしても、マーリンが「カントリー・ロード」を高らかに歌うシーンはちょっと泣ける。

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2018年1月16日 (火)

ジョン・ウィック:チャプター2

 キアヌ・リーヴスが流れるようなアクションで殺し屋を演じる映画「ジョン・ウィック」の続編「ジョン・ウィック:チャプター2」は、前作の5日後から物語が始まる。ロシアン・マフィアから愛車を取り返し、再び平穏な生活に戻ろうとするジョン・ウィック(リーヴス)だったが、今度はイタリアン・マフィアのサンティーノが現れ、姉を殺してほしいと依頼される。一度は断ったウィックだったが、サンティーノによって自宅を破壊され、またもや殺し屋稼業への復帰を余儀なくされる。しかしサンティーノは、犯罪組織のボスである姉を殺害し、自分が後継者になると同時に、ウィックを抹殺しようと企んでいたのだ。7億円の賞金をかけられたウィックは、全世界の殺し屋に命を狙われることになってしまう。ウィックの行くところは殺し屋だらけだ。世界にはこんなに殺し屋がいるのか。もしかしたら、いまあなたの隣にいて何食わぬ顔をしている人も、殺し屋かもしれない。映画「マトリックス」シリーズでモーフィアスを演じたローレンス・フィッシュバーンが久しぶりに共演、今回もリーヴスを手助けしてくれる。

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2018年1月15日 (月)

すごい物理学講義

 20世紀に確立した物理学の2大理論である一般相対性理論と量子力学とはどうも相性が悪く、いまだに統一的な理論は確立されていない。これを統一する理論は量子重力理論と呼ばれているが、最右翼とみられているのが超弦(超ひも)理論とループ量子重力理論の2つだ。いまのところ超弦理論の方が優勢なようで、解説本の数も超弦理論の方が多いが、最近、ループ量子重力理論の第一人者が一般向けの解説本を刊行した。イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリの「すごい物理学講義(原題『現実は目に映る姿とは異なる』)」という本だが、本国イタリアでは2つの「文学賞」を受賞したという。量子重力理論が対象とするのは素粒子よりも小さな極微の世界だが、ここでは時間も空間もなめらかではなく、分割不可能な最小単位が存在すると考えるのがループ量子重力理論だ。それにしても、この日本語タイトル、なんとかならんもんかなぁ。ぼくなんかしばらく「トンデモ本か」と思ってたくらいだ。

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2018年1月14日 (日)

姉崎二子塚古墳

 上総(かずさ)国府が置かれた現在の市原市にある姉崎古墳群のうち姉崎二子塚古墳は、全長114mの前方後円墳だ。築造時期は5世紀前半〜中頃と考えられているので、姉崎天神山古墳、釈迦山古墳に続けて築造されたことになる。こちらは発掘調査が行われていて、石枕をはじめとする多くの副葬品が発見された。姉崎古墳群は、このあたりを治めていた上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ)一族の墓ではないかといわれているが、姉崎二子塚古墳以降大規模な古墳は築造されていないので、上海上国造の勢力も衰えていったのかもしれない。

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2018年1月13日 (土)

釈迦山古墳

 上総(かずさ)国府が置かれた現在の市原市にある姉崎古墳群のうち釈迦山古墳は、姉崎神社の南側の台地上に築かれた全長93mの前方後円墳だ。築造時期は4世紀後半で、姉崎天神山古墳のすぐ後に築造されたようだ。姉崎古墳群は、このあたりを治めていた上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ)一族の墓ではないかといわれているが、姉崎天神山古墳の被葬者と釈迦山古墳の被葬者とは、親子や兄弟などかなりの近親者なのかもしれない。

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2018年1月12日 (金)

姉崎天神山古墳

 上総(かずさ)国府が置かれた現在の市原市には、1000基を超える古墳があるという。このうち大規模なものは姉崎地区に集中していて、姉崎古墳群と呼ばれている。そのうち最大規模なのが姉崎天神山古墳で、全長130mの前方後円墳だ。築造時期は4世紀後半と考えられている。古墳だと認識されたのは戦後だということで、実際に現地を見ると、古墳だか山だかすぐにはわからない。古代には各地に国造(くにのみやつこ)と呼ばれる支配者がいたが、姉崎古墳群は、このあたりを治めていた上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ)一族の墓ではないかといわれている。

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2018年1月11日 (木)

上総国府跡

 上総国(かずさのくに)は現在の千葉県の中央部に相当する令制国だ。上総国と下総国(しもうさのくに)は律令制以前は総国(ふさのくに)と呼ばれていたが、後に上総・下総にわかれたという。東京は武蔵国だから、「総武線」という名称がかつての国名に由来しているのは明らかだろう。平将門は桓武天皇の5世子孫に当たるが、平姓を賜ったのは祖父の高望王(たかもちおう)で、高望が上総介として赴任し、そのまま坂東に土着したのが坂東平氏の始まりだ。その後高望の長男 国香(良望)は常陸国、次男の良兼は上総国を拠点に勢力を拡大するが、この2人とおいの将門の争いが平将門の乱へと発展することになる。国府があったのは現在の市原市だとされているが、場所はわかっていない。能満地区に府中日吉神社という神社があり、「府中」という名称からここに国府があったという説もあるが、「府中」という言葉が使われるようになったのは中世だそうで、将門の時代は別の場所だったんではないかといわれている。なお、国府は普通に読めば「こくふ」だが、昔は「こう」と読んでいた。地名(特に読み方)というものは大昔からあまり変わらないので、現在も「こう」という地名が残っているかもしれない。と思ったら、府中日吉神社の近くに古甲(ふるこう)という地名があるという。早くこの謎を解明してほしいもんだ。

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2018年1月10日 (水)

キャノンPowerShot G9 X Mark Ⅱによる天体写真④

 キャノンPowerShot G9 X Mark Ⅱで冬の星座の星空タイムラプス動画を撮影した。天気予報は夜中まで晴れ、日没時はほぼ晴天で、月が出るまでの4.5時間ほど、メイン機のキャノンEOS60Daで天の川周辺の星雲星団を撮影しようと意気込んでいたが、赤道儀のセッティング中に雲が現れ、とうとう撮影できずに終わった。そんな中、サブ機のPowerShot G9 X Mark Ⅱの方は、星空タイムラプス動画の撮影に使用したのだが、ほとんど雲のタイムラプス動画になってしまった。晴れればすばらしい星空になるのだが、残念だ。動画はこちら
2018年1月7日撮影 キャノンPowerShot G9 X Mark Ⅱ、星空タイムラプス動画より

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2018年1月 9日 (火)

ザ・クリミナル 合衆国の陰謀

 イラク戦争に関連して、プレイム事件というのがあった。イラクが大量破壊兵器を保有しているという情報操作に躍起になっていたホワイトハウス高官が、これに否定的な調査結果を出した元外交官の妻がCIAの秘密エージェントであるとマスコミにリークしたのだ。このプレイム事件を描いた映画には「フェア・ゲーム」があるが、「ザ・クリミナル 合衆国の陰謀」は、プレイム事件をヒントにちょっと視点を変えた物語だ。ある日、アメリカ大統領暗殺未遂事件が発生、アメリカはベネズエラ政府の仕業と断定して報復攻撃に出る。しかし、新聞記者のレイチェル・アームストロング(ケイト・ベッキンセイル)は、ベネズエラ政府の関与はなかったとする報告書を政府が握りつぶしたことをつかむ。大スクープとなったが、この記事によってCIAのエージェントであることを暴かれたエリカ・ヴァン・ドーレン(ヴェラ・ファーミガ)が殺害されるという事件が発生してしまう。アームストロングは情報提供者の正体を明かすことを拒否、法廷侮辱罪で長期間にわたって拘置され、家庭も崩壊、それでも情報提供者を必死に守ろうとする。そこまでしなくてもいいんじゃないかと思うような話だが、映画を観ている者には最後に情報提供者の正体がわかる。う〜ん、そりゃ何が何でも守らないとダメだろう(というより、そもそもこれで記事にするのは反則じゃないの?)。

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2018年1月 8日 (月)

RACERS vol.27 NSR Part3

 三栄書房の「RACERS」第27号は、1990年代のロードレース世界選手権(WGP)に革新をもたらした1992年型ホンダNSR500の特集号だ。当時はホンダ、ヤマハ、スズキの日本勢に加え、イタリアのカジバもWGPに参戦、各社ともエンジンパワーの追求にしのぎを削っていた。しかし、パワーが上がるほどエンジン特性はピーキーになり、ライダーには扱いづらいものとなっていく。こうした中、ホンダは各気筒の点火タイミングを不等間隔とする「ビッグバン・エンジン」を開発、扱いやすいエンジン特性で圧倒的な戦闘力を発揮することになった。このビッグバン・エンジン搭載のNSR500を得たマイケル・ドゥーハンは、1992年後半から1993年まではケガで苦しむが、1994年から5年連続チャンピオンという偉業を成し遂げる。NSR500はその後も2度のチャンピオンに輝くが、2002年にはレギュレーションが大きく改定され、2ストロークエンジンは消えていくことになった。

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2018年1月 7日 (日)

RACERS 特別編集 ’83WGP FREDDIE vs KENNY

 三栄書房の「RACERS」特別編集号「’83WGP FREDDIE vs KENNY」は、長いロードレース世界選手権(WGP)の歴史の中でも特筆すべき1983年のフレディ・スペンサーとケニー・ロバーツとのバトルを特集している。ヤマハのケニー・ロバーツは、1978〜1980年に3年連続でWGPチャンピオンを獲得し、「キング・ケニー」としてトップに君臨していた。一方、ホンダのフレディ・スペンサーは、その速さから「ファースト・フレディー」と呼ばれ、1982年にWGPフル参戦を果たしていた。1983年はその両雄が真っ向から激突、最終戦までもつれこむ激烈なシーズンとなった。スペンサーが駆るNS500は軽量コンパクトな3気筒エンジン、ロバーツが駆るYZR500はパワフルな4気筒エンジンで、全12戦をともに6勝ずつ分け合った。結局、スペンサーがわずかな差で競り勝ったが、第11戦スウェーデンGPでスペンサーがロバーツを押し出したかっこうになり、ちょっと後味の悪さも残った。

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2018年1月 6日 (土)

RACERS vol.16 NSR Part2

 三栄書房の「RACERS」第16号は、1985年のロードレース世界選手権(WGP)で500㏄&250㏄クラスのダブルタイトルを獲得したホンダNSR500&RS250RWの特集号だ。1984年は不本意な成績に終わったフレディ・スペンサーだが、翌1985年は2クラス参戦という難関に挑戦する。NSR500のエンジンは、前年の失敗を踏まえ、一般的なレイアウトに変えられていた。このシーズン、ディフェンディング・チャンピオンであるヤマハのエディ・ローソンが必死に食い下がるが、スペンサー+NSR500は圧倒的に速く、12戦中7勝を挙げてチャンピオンに返り咲く。スペンサーの快進撃はこれだけにとどまらない。強豪がひしめく250㏄クラスでも、RS250RWは異次元の走りを見せ、史上初の500㏄&250㏄ダブルタイトルに輝いた。スペンサーの速さばかりが目立つシーズンだったが、ホンダのワイン・ガードナーも着実に成長、翌年から大きく飛躍することになる。

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2018年1月 5日 (金)

RACERS vol.8 ‘84NSR500

 三栄書房の「RACERS」第8号は、1984年のロードレース世界選手権(WGP)を戦ったホンダ独創のマシンNSR500の特集号だ。1983年、NS500でチャンピオンを獲得したフレディ・スペンサーに、ホンダは新しいマシンNSR500を投入する。NS500は軽量コンパクトな3気筒エンジンだったが、パワーではやはり4気筒勢に後れを取っていた。NSR500はパワフルな4気筒エンジンだったが、重心を下げるため、通常はエンジンの真上にある燃料タンクをエンジン下にマウントするという独特のレイアウトを取っていた。しかし、この結果排気管がエンジン上を通り、整備が難しくなるという問題が発生する。マシントラブルも多く、速さはあるものの完走率が下がった結果、スペンサーはチャンピオンを逃してしまう。結果として失敗に終わったシーズンだったが、スペンサー+NSR500の逆襲は翌1985年に結実するのだった。

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2018年1月 4日 (木)

RACERS vol.4 Rothmans NSR Part1

 三栄書房の「RACERS」第4号は、1980年代後半のロードレース世界選手権(WGP)を彩ったロスマンズ・ホンダNSR500の特集号だ。1983年以降、WGPではホンダとヤマハが交互にチャンピオンを獲得するシーズンが続く。ホンダのフレディ・スペンサーは1985年、500㏄&250㏄のダブルタイトル獲得という偉業を成し遂げるが、1986年以降は手首の故障に苦しみ、以後第一線で活躍することはなかった。代わりにトップに君臨したのがヤマハのエディ・ローソンとホンダのワイン・ガードナーだ。1986年はローソン、1987年はガードナーがチャンピオンを獲得、1988年はこれに加えてヤマハのウェイン・レイニーとスズキのケビン・シュワンツも参戦し、4強による熾烈なバトルがWGPを盛り上げた。結局、1988年のシーズンを制したのはヤマハのローソンだった。ローソンは翌1989年、ホンダに移籍することを決意、大きな話題を振りまく。NSR500+ローソンのコンビは決して順風満帆ではなかったが、ランキングトップを行くレイニーを追い詰め、逆転でチャンピオンを獲得するドラマチックな展開を見せた。

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2018年1月 3日 (水)

RACERS vol.1 ‘83NS500

 三栄書房の「RACERS」は往年のレーシングマシンを特集した雑誌で、その第1号は1983年のロードレース世界選手権(WGP)チャンピオンを獲得したホンダNS500の特集号だ。1960年代にWGPを席巻したホンダは、1966年をもっていったん撤退していたが、1979年、4ストロークエンジンという常識破りのマシンNR500をひっさげてWGPに参戦する。しかし、当時のレギュレーションでは、2ストロークエンジンのヤマハYZRやスズキRGには歯が立たず、我慢の日々が続いた。こうした中、ホンダが勝つために投入したのが2ストロークエンジンのNS500だ。しかし、そこはホンダ、ライバル勢と同じ4気筒エンジンではなく、3気筒という独創的なエンジンを選択する。1982年にデビューしたNS500は最初から戦闘力も高く3勝を挙げ、翌1983年にはフレディ・スペンサーがチャンピオンを獲得する。この年はヤマハYZR500を駆るケニー・ロバーツとスペンサーが熾烈なタイトル争いを演じ、いまでもWGPのベストシーズンとの呼び声も高い。日本人ライダーの片山敬済も1982年、NS500で勝利している。ちなみに、ぼくのバイクスタイルはVT250F+スペンサーレプリカヘルメットという黄金コンビだった。後にはロスマンズカラーの片山レプリカも愛用したが、この2つのヘルメットは思い出深い。

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2018年1月 2日 (火)

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

 映画「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」でまたしても人類を滅亡の危機から救ったアベンジャーズだったが、一般市民に多くの犠牲者が出たことから、世間から強い批判を浴びるようになっていく。そんな中、ナイジェリアで起きたヒドラ残党との戦いでまたしても一般市民が巻き添えとなり、国際社会はアベンジャーズを国連の管理下に置く「ソコヴィア協定」の締結に向けて動き出す。このソコヴィア協定に対し、アベンジャーズは、トニー・スターク(アイアンマン)をはじめとする賛成派と、スティーヴ・ロジャーズ(キャプテン・アメリカ)をはじめとする反対派の真っ二つにわかれてしまう。そして、オーストリアで行われた署名式で爆弾テロが発生、ロジャースの親友であったバッキー・バーンズ(ウィンター・ソルジャー)が犯人として追われることになる。スターク(ロバート・ダウニー・Jr)はなおもロジャーズ(クリス・エヴァンス)への説得を続けるが、バッキーがヒドラの洗脳に操られていたことを知ったロジャーズはこれを拒否、賛成派と反対派はついに激突してしまう。しかも、スタークの両親を殺したのは、バッキーだったことも明らかになってしまう。ひとまず戦いが終わり、心身ともに傷ついたアベンジャーズ。彼らはどこへ行くのだろうか。

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2018年1月 1日 (月)

冬の大三角

 冬の星空は明るい星が多い。最も明るく輝いているのがおおいぬ座のシリウスで、オリオン座にはベテルギウスとリゲル、おおいぬ座にはプロキオン、おうし座にはアルデバラン、ふたご座にはポルックス、ぎょしゃ座にはカペラという1等星がある。このうちベテルギウスとシリウス、プロキオンがつくる三角形は「冬の大三角」と呼ばれている。冬の大三角はちょうど天の川を覆うような位置にあるので、眼視でも写真撮影でも見どころが多い。オリオン座を撮影すると全体的に赤っぽく写るが、どうやらオリオン座には巨大分子雲があって、ここから次々と星が誕生したということらしい。なお、ベテルギウスは赤色超巨星で、いつ超新星爆発を起こしてもおかしくないと考えられている。もうしそうなれば、昼間でも見える明るさになるといわれているので、ものすごい見ものになるだろう。
2013年1月7日撮影 キャノンEOS60Da+シグマ15㎜対角線魚眼レンズ、露出180秒

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