常陸国府跡
奈良時代に書かれた常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が残ることでも有名な常陸国は、現在の茨城県にほぼ相当する令制国だ。国府が置かれたのは現在の石岡市で、石岡小学校の校庭から国庁の遺跡が発掘されているが、国庁は5回にわたって建て替えられたようだ。10世紀半ばに坂東(いまの関東)で乱を起こした平将門は、はじめは一族内での争いに巻き込まれただけだったのだが、興世王(おきよおう)とか藤原玄明(はるあき)とかいった問題児たちに頼られてこれを助けていく中で、国家に対する反逆の道を突き進んでしまうはめになる。その発端となったのが939年11月の常陸国府での戦いだ。このとき国府軍は3000人だったが、将門軍はわずか1000人でこれをたちまち打ち破ったという。この後将門は下野国(しもつけのくに)、上野国(こうずけのくに)などを次々と攻略、石井(いわい)を拠点に新皇を称することになる。
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