2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 | トップページ | 舟塚山古墳 »

2017年11月29日 (水)

常陸国府跡

 奈良時代に書かれた常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が残ることでも有名な常陸国は、現在の茨城県にほぼ相当する令制国だ。国府が置かれたのは現在の石岡市で、石岡小学校の校庭から国庁の遺跡が発掘されているが、国庁は5回にわたって建て替えられたようだ。10世紀半ばに坂東(いまの関東)で乱を起こした平将門は、はじめは一族内での争いに巻き込まれただけだったのだが、興世王(おきよおう)とか藤原玄明(はるあき)とかいった問題児たちに頼られてこれを助けていく中で、国家に対する反逆の道を突き進んでしまうはめになる。その発端となったのが939年11月の常陸国府での戦いだ。このとき国府軍は3000人だったが、将門軍はわずか1000人でこれをたちまち打ち破ったという。この後将門は下野国(しもつけのくに)、上野国(こうずけのくに)などを次々と攻略、石井(いわい)を拠点に新皇を称することになる。

Img_0673

« ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 | トップページ | 舟塚山古墳 »

バイク、旅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 常陸国府跡:

« ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 | トップページ | 舟塚山古墳 »