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2017年11月

2017年11月30日 (木)

舟塚山古墳

 茨城県石岡市は古代、常陸国府が置かれたまちだ。石岡市の市街地は霞ヶ浦の北西に広がっているが、平安時代の霞ヶ浦はもっと大きかったようで、JR石岡駅の隣 高浜駅近くの高台は入江を望む生活に適した場所だったんだろう。ここには舟塚山古墳群といって40基もの古墳が分布しているが、その中で最も大きいのが舟塚山古墳だ。舟塚山古墳は墳丘の長さ186mの前方後円墳で、県内最大、東日本でも第2位の規模を誇る。築造されたのは5世紀後半で、もちろん埋葬者はこの地方の有力な豪族だったのだろう。

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2017年11月29日 (水)

常陸国府跡

 奈良時代に書かれた常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が残ることでも有名な常陸国は、現在の茨城県にほぼ相当する令制国だ。国府が置かれたのは現在の石岡市で、石岡小学校の校庭から国庁の遺跡が発掘されているが、国庁は5回にわたって建て替えられたようだ。10世紀半ばに坂東(いまの関東)で乱を起こした平将門は、はじめは一族内での争いに巻き込まれただけだったのだが、興世王(おきよおう)とか藤原玄明(はるあき)とかいった問題児たちに頼られてこれを助けていく中で、国家に対する反逆の道を突き進んでしまうはめになる。その発端となったのが939年11月の常陸国府での戦いだ。このとき国府軍は3000人だったが、将門軍はわずか1000人でこれをたちまち打ち破ったという。この後将門は下野国(しもつけのくに)、上野国(こうずけのくに)などを次々と攻略、石井(いわい)を拠点に新皇を称することになる。

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2017年11月28日 (火)

ザ・マミー/呪われた砂漠の王女

 5000年前、古代エジプトで生きながらにしてミイラにされた王女が、現代に蘇る。次期女王の座を約束されていた王女アマネットは、弟が生まれたためその約束を反故にされ、死の神セトと契約を交わし、父親であるファラオをはじめ家族を皆殺しにする。しかし、セトを蘇らせる儀式の途中で捕らえられ、砂漠の地下深くに埋められる。そして現代、米軍軍曹でありながらコソ泥も働くニック(トム・クルーズ)は、イラクで謎の遺跡を発見する。この遺跡こそ、呪われた王女アマネットの墓だった。ニックは考古学者のジェニー(アナベル・ウォーリス)とともにアマネットの棺をイギリスに運ぶが、移送中に軍用機が墜落、ジェニー以外はニックも含め全員死亡してしまう。しかし、アマネットに呪いをかけられたニックは霊安室で目を覚ます。アマネットは、セトを蘇らせるため、ニックの肉体を利用することにしたのだ。というわけでニックはアマネットにつけ狙われることになるのだが、ジキル博士(ラッセル・クロウ)が率いる謎の組織プロディウムも乱戦に参加、ロンドンを舞台に大立ち回りが繰り広げられる。砂漠の王女というとさまよえる湖ロプノールと楼蘭の美女を思い出すが、本作のアマネットはとても恐ろしい王女だ。

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2017年11月27日 (月)

関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制

 遺跡、史跡めぐりというのは楽しいものだが、とりわけ古戦場めぐりは興味をそそられる。そして古戦場といえば、なんといっても関ヶ原だろう。ぼくもだいぶ前に関ヶ原を訪れ、歩き回ったことがあるが、ここで400年前、天下分け目の戦いが行われたと思うと感慨深いものがあった。笠谷和比古が書いた「関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制」は、豊臣政権とその崩壊から関ヶ原合戦、そしてその戦後処理までを解説した本だ。関ヶ原合戦はドラマや映画で何度も映像化されているので有名だろうが、徳川軍の主力3万人の軍勢を率いた徳川秀忠が遅参し、家康は外様大名の力を借りてなんとか勝利した。これがのちの戦後処理と幕藩体制に大きく影響したというのが著者の主張だ。

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2017年11月26日 (日)

室町戦国史紀行

 旅行作家の宮脇俊三が書いた「室町戦国史紀行」は、年代順によって史跡の旅をするということで、室町戦国史の現場を訪問してまとめた本だ。鎌倉幕府滅亡によって京都に室町幕府が成立するが、幕府の権威は絶対的という感じでもなく、全国各地の守護大名が大きな力を持っていく。というわけで、この本で著者は有力大名の根拠地や戦場などにも足を運ぶ。北海道にも函館周辺に道南十二館(じゅうにたて)が築かれたということで、函館市、上ノ国町、松前町を訪れている。京都を荒廃させた応仁の乱ののち、全国各地で力を持った者は戦国大名として台頭、織田信長が天下統一をめざす。しかし、本能寺の変に倒れた信長に代わって天下統一を成し遂げたのは豊臣秀吉だった。その秀吉もこの世を去り、いよいよ天下分け目の関ヶ原の戦いとなる。しかし、著者は関ヶ原を訪れたときにはもう山に登る体力もなくなっていたので、このシリーズは本巻で最後となった。

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2017年11月25日 (土)

平安鎌倉史紀行

 旅行作家の宮脇俊三が書いた「平安鎌倉紀行」は、年代順によって史跡の旅をするということで、平安鎌倉史の現場を訪問してまとめた本だ。桓武天皇によって平安遷都が行われ、奈良に代わって京都が日本の中心地となるが、この時代には古代史にはあまり登場しない東国も歴史の舞台となる。北海道出身で東京に住んでいるぼくとしては、東京より西はあまりなじみがないが、東国ならすぐに出かけられるのがありがたい。京都では平安貴族が全盛期を謳歌するが、地方では武士が着々と力を蓄えていった。その実力が発揮されたのは10世紀中頃の平将門と藤原純友の乱であり、のちの平清盛、源頼朝の登場だ。そして、平家滅亡後、源頼朝は鎌倉に武家政権の拠点を置く。しかし、鎌倉幕府の時代はそんなに長くは続かず、日本の中心地はまた京都へと戻ることになる。

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2017年11月24日 (金)

古代史紀行

 旅は楽しい。その土地の名所旧跡を回り、その土地の名物を食べ、その土地の酒を飲む。その際、その土地の歴史を知っていると、旅はいっそう楽しくなる。旅行作家の宮脇俊三が書いた「古代史紀行」は、年代順によって史跡の旅をするということで、約500年間の古代日本史の現場を訪問してまとめた本だ。著者はまず、日本が最初に文献に現れた時代、対馬から旅を始める。邪馬台国がどこにあったかはいまだに大きな謎だが、たぶん最初は九州が中心だったのが後に近畿地方に移動し、3世紀には近畿地方にヤマト王権が成立したんだろう。というわけで、出雲、九州へとちょっと遠出をしてから、古代日本の中心地奈良に向かう。奈良はぼくも行ったことはあるが、名所旧跡は修学旅行で回ったくらいなので、一度はじっくりと歩いてみたいところだ。

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2017年11月23日 (木)

宙ツーリズム推進協議会

 約50の自治体や団体、企業、大学などが参画した宙(そら)ツーリズム推進協議会の設立総会が開催されたそうだ。同協議会は、空や星・宇宙の多岐にわたる魅力の総称を「宙(そら)」とし、場をつなぐ情報・ノウハウの提供、「宙」が持つ魅力の集約・発信、市場の拡大を目標に活動するものだ。要するに星空を観光資源にしようという話だが、地方にもかなり光害(ひかりがい)が及んでいるので、まずはこれをなんとかしなければならないと思う。天文ファンには人気の野辺山でも、光害はこんなにひどい。
2016年4月29日撮影 キャノンEOS60Da+キャノンEF24mm、露出60秒

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2017年11月22日 (水)

オウムアムア

 太陽系には太陽、惑星、準惑星、小惑星や彗星などの小天体があるが、ときどき太陽系外の天体(恒星間天体)も横切っていると考えられる。今年10月に発見された「オウムアムア」と名付けられた天体は、初めて太陽系外からの訪問者だと判明した恒星間天体だ。観測によると、オウムアムアは長さ400mの細長い天体で、太陽系にはない形状だ。成分は岩石と金属で、水や氷はないという。惑星が太陽のまわりを回る軌道面から見るとほぼ北の方から飛んできて、太陽の重力でほぼ直角に曲がり、太陽系の外に向かって飛んでいく感じだ。NASAのHPに動画があるのでこれを見るとわかりやすい。

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2017年11月21日 (火)

スターゲイト

 1994年のSF映画「スターゲイト」は、後にテレビドラマ「スターゲイトSG-1」というヒット作につながるベースとなった物語だ。20世紀はじめ、エジプトのギザ高原で巨大なリング上の物体が発見された。それから60年以上、アメリカのチームがこの物体の研究を続けたが、正体は謎だった。この謎を解き明かしたのが学界の鼻つまみ者、考古学・言語学者ダネエル・ジャクソン(ジェームズ・スペイダー)だった。ジャクソンは見るからにオタクなのだが、天才的な能力を発揮し、謎の物体が地球と遠い星をつなぐスターゲイトであることを見出したのだ。アメリカはさっそく、空軍大佐ジャック・オニール(カート・ラッセル)をリーダーとする調査チームを編成し、スターゲイトの先に送り込むことを決定する。しかし、オニールは一人息子を銃の暴発事故で失い、自殺願望を抱いていた。果たして、スターゲイトの先に待ち受ける世界とは。というわけで、なかなかおもしろい映画だ。スターゲイトの正体はワームホールを発生させる装置なのだが、ワームホールは1997年の映画「コンタクト」や2014年の映画「インターステラー」でも登場する。

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2017年11月20日 (月)

一般教養としての物理学入門

 現代物理学はどこまで到達したのか、こういった問題を文化系の学生向けに高度な数学抜きで解説したのが和田純夫の「一般教養としての物理学入門」だ。古典力学、熱力学、電磁気学、相対性理論、量子力学という理科系の学生が1〜2年で学ぶ各分野に加えて、場の量子論と統一理論という最先端の分野まで簡潔に解説してある。文科系の学生向けというが、理科系の学生向けに一番最初にこれを勉強させるのもいいかもしれない。物事はなんでも、最初にある程度見通しをつけられるならそれが一番いい。

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2017年11月19日 (日)

しし座流星群

 昨日未明に極大を迎えたしし座流星群は、通常は1時間あたり数個の流星が出現する程度に過ぎないが、ときどき大出現が見られる注目の流星群だ。最近では2001年に1時間あたり数千個というものすごい流星雨が観測された。流星群の出現状況の予測は非常に難しいのだが、このときはダストトレイル理論という新しい理論をもとに、かなり正確に予測された。ぼくも北海道に帰り、朝までずっと観測したが、とにかくすごいの一言だった。当時はまだデジタルカメラがなく、フィルムカメラだったが、もしデジタルカメラがあればそうとうすごい写真を撮影できたはずだ。母彗星であるテンペル・タットル彗星は33年周期で太陽を回っていて、将来また大出現を見せることもあるだろう。そのときまで生きているかどうかはわからないが。
2001年11月19日撮影 アサヒペンタックスSP+スーパータクマー50mm

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2017年11月18日 (土)

量子力学入門

 「いろもの物理学者」前野昌弘が書いた「パリティ物理教科書」シリーズの1冊「量子力学入門」は、量子力学を初めて学ぶ人向けに書かれた本だ。量子力学が登場したのは20世紀初頭で、1926年にエルヴィン・シュレーディンガーが「シュレーディンガー方程式」を発表、その後量子力学はめざましい発展を遂げていく。その発展には多くの科学者が関わり、激しい議論が繰り広げられた。量子力学は人間の思考回路ではなんとも非常識、不可解、摩訶不思議であり、これを勉強し始めると何度も面食らうのはまちがいない。この本は、その量子力学を、どのように発展したのかという話も盛り込みながら、わかりやすく解説した本だ。歴史に名の残る先人たちも相当苦労したんだから、気長に勉強しよう。

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2017年11月17日 (金)

よくわかる量子力学

 「いろもの物理学者」前野昌弘が書いた「よくわかる」シリーズの1冊「よくわかる量子力学」は、量子力学がテーマだ。物理学は量子力学以前と以後で区別され、力学や電磁気学、相対性理論など量子力学以前は古典物理学と呼ばれている。量子力学が登場したのは20世紀初頭で、その後多くの科学者によってめざましい発展を遂げた。その威力は応用面でも絶大で、現在のIT技術も量子力学抜きでは語れない。しかし、この量子力学を学ぶには、数学の壁とともに、概念の壁ともいうべき非常に大きな壁がある。人間の思考回路ではなんとも非常識、不可解、摩訶不思議なのだ。かのアルベルト・アインシュタインでさえ、量子力学を最後まで信じなかったという。この本は、そんな量子力学を正面から学んでみようという人向けに書かれたものだ。なお、前野はこの本とは別に「量子力学入門」という本を書いていて、こちらを先に読むといいかも。

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2017年11月16日 (木)

よくわかる電磁気学

 「いろもの物理学者」前野昌弘が書いた「よくわかる」シリーズの1冊「よくわかる電磁気学」は、電磁気学がテーマだ。電磁気学は力学と並び大学1年で履修する科目だが、div rot gradといったベクトル解析の数式が出てくるので、力学よりもとっつきにくい。大学1年の物理は、物理を記述する数学も勉強しなければならないので、かなりたいへんなのだ。そしてさらに、「場」という非常に重要な概念が登場する。しかし、静電気から始まって次から次へといろんな話が出てくるので、ぼくなどは、「場」の重要性を本当に理解したのはもっとあとになってからだったと思う。こうしていろいろな電磁気現象を見せられた末に、いよいよマックスウェル方程式という実にエレガントな法則にたどりつく。教科書によってはマックスウェル方程式を最初に示すものもあるが、もう一度勉強し直そうというのならどっちでもいいだろう。この本は大学1年生用の講義が元になっているので、図表もあってとてもわかりやすい。

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2017年11月15日 (水)

よくわかる解析力学

 「いろもの物理学者」前野昌弘が書いた「よくわかる」シリーズの1冊「よくわかる解析力学」は、初等力学を学んだあとに出てくる解析力学がテーマだ。解析力学というのは、その名のとおり力学を解析的手法で記述するというものだが、ぼくも大学生の頃は、なんのためにわざわざこんなめんどくさいことをするんだと思っていた。しかし、オイラーやラグランジュといった頭のいい人たちは、力学を非常にエレガントな形で記述することに成功、ニュートンの運動方程式よりも、最小作用の原理の方がより自然の基本原理であるともいえることを明らかにした。それがはっきりしたのは20世紀初頭、量子力学が登場したときだ。この本は、著者がいうように、解析力学の目的は力学に統一的な視点を与えることだという考えで書かれているので、難しい数式の中で迷子になってわけがわからなくなるということはなく、すっきりとした見通しをもって読み進めることができるだろう。

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2017年11月14日 (火)

よくわかる初等力学

 ぼくが大学生だった頃の物理・数学の教科書は、とにかく難しかったという印象が強い。「ファインマン物理学」は異色だったが、その他の教科書は難しいというか不親切で、何度読んでもわからんということがたくさんあった。しかし、最近はわかりやすい、親切な本がいろいろあって、学生だけでなく趣味で物理・数学の勉強をやり直そうとする者にとってはたいへん助かる。「いろもの物理学者」前野昌弘が書いた「よくわかる」シリーズは、そんな1冊だ。そのうち「よくわかる初等力学」は、大学1年生がはじめに学ぶ、初等力学がテーマだ。力学というのはシンプルな方程式で表せるのだが、実際にこれを解こうとするとかなり複雑な数式が出てくる。例えば太陽と惑星との運動は2体問題というが、これはそう簡単ではない。しかも、3体問題になるともう解くことはできない。それ以前に、物体にどういう力が加わっているか、よく考えないと正しい方程式を書くこともできない。この本は、著者がいうように、力学の学習を通じて物理的思考方法を身につけられるように書かれているので、これまでちょっとあやふやだった認識を確実なものにするのにもいいだろう。

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2017年11月13日 (月)

高倉塚古墳

 かつて武蔵国府のあった府中市には、竪穴建物跡や古墳がたくさんある。それらの遺跡は、多摩川沿いの幅1〜2㎞の沖積低地と、そこから一段高い立川段丘との境界線である府中崖線(がいせん)にほぼ沿う形で分布している。分倍河原(ぶばいがわら)駅周辺に分布する高倉古墳群もその一つで、28基の古墳が発見されたということだが、そのうち高倉塚古墳がきれいに復元されている。すぐ隣に民間が立ち並んでいて、ちょっと惜しい感じだ。

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2017年11月12日 (日)

武蔵府中熊野神社古墳

 かつて武蔵国府のあった府中市の国道20号線甲州街道沿いに、武蔵府中熊野神社古墳がある。この古墳は四角い墳丘の上に丸い墳丘が重なった上円下方墳で、全国でも珍しい形の古墳だ。最近になって築造当時の姿に復元され、石葺きの立派な姿になった。すぐ横には古墳展示館もあり、復元された石室の中に入ることもできる。熊野神社古墳が築造されたのは武蔵国府が置かれるちょっと前ということで、被葬者は国府設置に関与した有力者ではないかという見方もできるだろう。

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2017年11月11日 (土)

武蔵国府跡

 大化の改新以降、律令制の導入が進められるが、地方には令制国(律令国)と呼ばれる行政単位が置かれていく。現在の首都圏に置かれたのは武蔵国(むさしのくに)、上総国(かずさのくに)、下総国(しもうさのくに)で、武蔵国には現在の東京都と埼玉県、神奈川県の大部分が含まれていた。国府が置かれていたのは現在の府中市で、大國魂神社神社のすぐそばに国庁があったと考えられている。そもそも、「府中」という地名じたい、国府の中という意味なんだろう。国庁があった場所は武蔵国府跡としてきれいに整備されている。大國魂神社は七五三の参拝客でにぎわっていた。いまも昔も人の多い街なんだろう。

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2017年11月10日 (金)

弘法寺古墳

 市川市国府台(こうのだい)の弘法(ぐほう)寺は、天平時代、行基が建立した求法寺がはじまりという歴史ある寺だ。境内には古墳らしき墳丘がいくつかあるが、古墳だと明示されているのは弘法寺古墳のみだ。弘法寺古墳は全長43mの前方後円墳だというが、台地が崩壊し、半壊状態となっている。古墳のある場所が真間山(ままさん)という台地の崖すれすれなので、崩れてしまったのだろう。弘法寺山門は急階段の上にあり、ここからの景色はなかなかだ。

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2017年11月 9日 (木)

明戸古墳

 市川市国府台(こうのだい)の里見公園にある明戸(あけど)古墳は、全長40mの前方後円墳だが、後円部墳頂には2基の石棺が露出している。この石棺は1479年、ここに陣を築こうと盛り土を取り除いたときに発見されたという。19世紀半ばに刊行された江戸名所図会に国府台が描かれているが、そこにもこの石棺の話が書いてある。これによると、石棺の中には甲冑太刀や金銀の鈴、陣太鼓、土偶などがあったが、すぐ近くの総寧寺に収蔵したそうだ。しかし、江戸名所図会の刊行後に総寧寺も焼失したそうで、たぶん出土品はもうないんだろう。

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2017年11月 8日 (水)

法皇塚古墳

 市川市国府台(こうのだい)の東京医科歯科大学構内には、法皇塚古墳という前方後円墳がある。墳丘長54mで、このあたりでは最大規模だ。後円部に横穴式石室があり、3本の太刀やたくさんの武器・馬具、ガラスや金銀でつくられた装身具が発見されたそうだ。6世紀の古墳だというが、この周辺はいち早く弥生文化を受け入れ、律令制のもとでは下総国(しもうさのくに)国府(こくふ、こう)も置かれたところだから、当時としては先進的な地域であり、かなりの有力者の墓なんだろう。

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2017年11月 7日 (火)

須和田遺跡

 蔵前橋通りを走って江戸川を渡ると、ちょっと上流に高台があるのがわかる。このあたりは市川市国府台(こうのだい)といって、律令制のもとで下総国(しもうさのくに)国府(こくふ、こう)が置かれていたところだ。国府が置かれる前にも人が住んでたようで、旧石器時代の遺跡や古墳もある。その一つ須和田遺跡では、南関東で最も古い弥生式土器が出土していて、弥生文化をいち早く受け入れた地域だと考えられている。ここには弥生時代後期の住宅が復元されていたそうだが、不審火で焼けてしまったという。なんとももったいない。

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2017年11月 6日 (月)

下総国府跡

 大化の改新以降、律令制の導入が進められるが、地方には令制国(律令国)と呼ばれる行政単位が置かれていく。現在の首都圏に置かれたのは武蔵国(むさしのくに)、上総国(かずさのくに)、下総国(しもうさのくに)で、下総国には現在の東京都東部の一部と千葉県北部、茨城県南西部などが含まれていた。それぞれの国には現在の県庁所在地のような国府(こくふ、こう)が置かれ、国府の中心には国衙(こくが)という役所群が、そしてその中心には国庁があった。国府があった場所はいまでも地名で残っていたりして、下総国国府があった市川市国府台(こうのだい)もその一つだ。国庁があったのは現在の市川市スポーツセンターあたりだったとされ、隣接する千葉商科大学や和洋女子大学構内でもそれらしき遺構が発掘されている。

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2017年11月 5日 (日)

バリー・シール/アメリカをはめた男

 冷戦時代、アメリカはラテンアメリカ各国と関係を深めるが、一方ではキューバを中心に反米の動きも活発になる。そのような国・地域で、CIAはひそかに、反米政権を打倒しようとする勢力や親米政権を樹立しようとする勢力を支援していたといわれている。トム・クルーズ主演の映画「バリー・シール/アメリカをはめた男」は、そんな時代に、CIAの極秘密輸作戦に従事しながら、麻薬の密輸で莫大な財産を築いた実在の人物を描いた物語だ。民間航空会社のパイロット バリー・シール(クルーズ)はある日、その天才的な腕前を買われて、CIAにスカウトされる。最初のミッションは敵勢力の偵察だった。すぐに大きな成果を挙げるシールだったが、そのうち麻薬王の目にとまり、麻薬の運び屋もやらされるようになる。CIAにスカウトされたときもそうだったが、はじめは「ヤバいかも」と不安になりながらも、どんどん感覚が麻痺して、最後は「なんでもあり」になってしまうシールの破天荒な人生を、クルーズがうまく演じている。「アメリカをはめた男」というより、「アメリカを手玉に取った男」という方がふさわしいかも。

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2017年11月 4日 (土)

ミスティック・アイズ

 イギリスの静かな田舎の村に、若い夫婦が引っ越してきた。夫デイヴィッド(ベネディクト・カンバーバッチ)は子どもの頃この村で育ち、妻ドーン(クレア・フォイ)と2人で新たな家庭を築こうとしていた。しかし、突然そこにデイヴィッドの弟ニックが現れ、2人は久しぶりの再会を喜び合うものの、ニックは精神を病んでいて、次第に夫婦の歯車は少しずつ狂っていく。というストーリーだが、はじめは優しく見えたデイヴィッドもニックに劣らず病んでいる感じで、ドーンまでおかしくなってしまう。カンバーバッチってやっぱりこういう普通じゃない人間の役がハマるんだなぁ。BGMもほとんどなく静かな展開だが、ちょっとぞっとするような映画だ。ドーン役のクレアは来年公開予定の「ドラゴン・タトゥーの女」の続編映画でリスベット・サランデルを演じるそうで、楽しみだ。

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2017年11月 3日 (金)

将門記

 10世紀半ばに坂東(いまの関東地方)で起きた平将門の乱の顛末は、「将門記(しょうもんき)」という書物によって現代に伝えられている。この将門記、原本は残ってないようで、2つの写本があるだけ、しかも冒頭部分が欠落しているので、作者も成立年代も本当のタイトルもわからない。古い書物では、「将門合戦章」とか「将門合戦状」と呼ばれていたようだ。しかし、将門はもちろん、朝廷の動きも書いてあるので、平安京と坂東の両方の情報に接することができる人物が書いたものなんだろう。まあ千年くらい昔の書物なので、原本が残っていないのはしょうがないが、もし見つかったら歴史的大発見になるだろう。梶原正昭が書いた「将門記」は、この将門記に詳細な訳注をつけた解説本だ。将門記は軍記物語の先駆けとして位置づけられていて、その後鎌倉時代にはかの有名な「平家物語」が登場する。

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2017年11月 2日 (木)

十三夜

 昨夜は十三夜、旧暦(太陰太陽暦)9月13日の夜だった。旧暦8月15日夜(十五夜)の月は中秋の名月といって、古来からお月見をするのがならわしだが、十三夜の月も「後の名月」といって、お月見をする風習がある。ちょうど豆や栗が食べ頃なので、豆名月とか栗名月と呼ぶところもあるそうだ。月齢では12くらいなので、満月のちょっと手前となる。十五夜にお月見をする風習は9世紀頃、中国から伝わったらしいが、十三夜のお月見は日本独自の風習で、919年、寛平法皇(宇多天皇)が内裏にて催した月の宴に端を発するという。久しぶりに10年前のキャノンEOS Kiss Digital Xで撮影したが、やはりライブビューがないとピント合わせが大変だ。
2017年11月1日撮影 キャノンEOS Kiss Digital X+ミニボーグ45EDⅡ+レデューサー0.85×DG、露出1/500秒

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2017年11月 1日 (水)

ブラッド・ダイヤモンド

 ダイヤモンドは炭素(C)の同素体の一つであり、天然で最も硬い物質だ。主な用途は宝石用か工業用で、特に女性には大人気だ。主要産出地はロシアやアフリカ、オーストラリアで、アフリカではボツワナ、コンゴ、南アフリカの3カ国が突出している。産出国が内戦地域の場合、ダイヤモンドは武器調達の資金源となるので、紛争当事者は当然のことながらダイヤモンド利権を狙う。レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」は、不法取引される紛争ダイヤモンドをめぐる物語だ。アフリカのシエラレオネ共和国で、元傭兵のダイヤ密売人アーチャー(ディカプリオ)、反政府軍RUFの襲撃によって家族と引き裂かれたソロモン(ジャイモン・フンスー)、そして紛争ダイヤモンドの真実を暴こうとするジャーナリストのマディー(ジェニファー・コネリー)の3人が出会う。それぞれまったく異なる思いで動く3人だったが、ソロモンが隠したピンクダイヤをめぐってストーリーが展開していく。自分が持っているダイヤモンドにこのような背景があると知ったら、あまり身につけたくなくなるかも。

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