目に見えないもの
湯川秀樹が中間子論を発表したのは1935年、日本が太平洋戦争へと突き進んでいく時代だった。学問の自由が保障され、実験施設や観測機器、さらにはインターネットまで整備されている現代ではなかなか想像できないが、科学者たちの苦労は並大抵のものではなかったろう。そんな時代だったが、湯川は折々に思うところを書きためていたようで、終戦後まもなく「目に見えないもの」という本を刊行している。この中で湯川は、それまでの半生を振り返っているが、一時は実父(小川琢治)の跡を継いで地質学者になろうと考えたことがあったという。しかも、結局は物理学者になったが、原子物理学の実験で最も大切な真空技術に必要なガラス細工が苦手だったので、理論の方に進んだという。まったく人生とは何が幸いするかわからないものだ。
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