日本で初めて貝塚の発掘調査を行ったのは1877年、お雇い外国人として来日したエドワード・S・モースが大森貝塚を発掘調査したのがそうだが、モースがその次に発掘調査したのは小石川植物園の貝塚だったそうだ。本郷台地上にある白山上から植物園に向かうと、いったん標高が下がり、白山下からまた標高が上がって高台にある植物園に達するが、縄文時代は今の白山通りなどは海だったようだ。植物園の近くには網干坂という坂があるが、ここで漁師が網を干したという言い伝えもあるらしい。残念ながら、それらしきものは何もなく、地面にブルーシートがかけられているだけだった。大学の施設なんだから、遺跡は大切にしてほしいものだ。
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