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縄文時代、気候が温暖化し、海水面が今より高い時代があった(縄文海進)。この時代、東京湾は今の埼玉県内にも深く入り込んでいて、荒川流域は古入間湾という湾になっていたようだ。こうした理由で、当時の海岸線に当たる場所には貝塚などの遺跡が点在している。埼玉県和光市の午王山(ごぼうやま)遺跡は、標高25mの高台にあり、旧石器時代から中世までの複合遺跡だが、特に弥生時代の環濠集落として知られている。今は畑の中に案内板がポツンと1枚あるだけだが、発掘調査では弥生時代の住居跡が150件以上も発見されたそうだ。
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