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2015年5月

2015年5月31日 (日)

幌満かんらん岩体②

 北海道は今でこそひとつの島だが、もともと東北海道と西北海道は別の島で、東北海道が西北海道に乗り上げるように衝突し、一つの島になったものだそうだ。このときめくれあがってできたのが日高山脈で、日高変成帯と呼ばれる部分は、プレートの浅い部分から深い部分までがほぼ垂直に、きれいに連続して分布しているという。このような場所は世界的にも珍しいそうだ。いつか日高山脈を縦走して、この目で見てみたいものだが、初心者が登れるような簡単な山ではないし、ヒグマがうじゃうじゃいるしで、もうムリだろうな。

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2015年5月30日 (土)

幌満かんらん岩体①

 かんらん岩はマントル上部をつくる岩石であり、通常われわれが目にすることはない。しかし、プレート同士が衝突してできた日高山脈では、かんらん岩をはじめとする地下深くの岩石が押し上げられ、地上に露出している。高山植物でも有名なアポイ岳は、かんらん岩でできた山で、アポイ岳の東側にはかんらん岩体がつくる幌満峡という峡谷がある。様似町からえりも町に向かう途中、幌満川を渡ってすぐ、川に沿って山の方に入っていくと、小さな発電所がある。そこにアポイ岳ジオパークの案内板があり、幌満かんらん岩体の説明が書いてあるが、周辺のあちこちにかんらん岩が露出している。

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2015年5月29日 (金)

三石海浜公園

 新ひだか町の道の駅みついしは、三石海浜公園の中にあり、温泉やオートキャンプ場もある。北海道にはオートキャンプ場がけっこうあって、GW中はキャンピングカーもよく見かけた。学生時代のツーリングは、キャンプ場でもない場所にテントを張って寝泊まりしたもんだが、今なら何でもそろう便利なオートキャンプ場があるので、快適だろう。

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2015年5月28日 (木)

チューリップ

 こちらはチューリップの花。北海道でチューリップというと、湧別町のかみゆうべつチューリップ公園が有名だ。オランダ風車があり、満開時の風景はすばらしい。写真でしか見たことないけど。

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2015年5月27日 (水)

モクレン(木蓮)

 北海道の春は桜と梅が一緒に咲くというが、今年のGWは、モクレン(木蓮)の花も咲いていた。

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2015年5月26日 (火)

タンポポ②

 タンポポは英語でdandelionというが、この言葉で思い出すのは松任谷由実の「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」という曲だ。この曲が発表されたのはぼくが高校生のときだったと思うが、大学生になってからユーミンはかなり徹底的に聴いたので、今でもよく覚えている。「ダンデライオン」が収録されたアルバム「VOYAGER」がまた傑作ぞろいで、南回帰線のことを英語で「Tropic of Capricorn」と呼ぶのもこのアルバムで知った。「Capricorn」はやぎ座のことで、北半球が冬至(=南半球が夏至)になる頃、太陽はやぎ座にあり、南回帰線上では正午に太陽が天頂にくるということで、そのように名付けられた。ただしこれは古代バビロニア時代の話で、今は冬至点はやぎ座ではなくいて座にある。なお、北回帰線は「Tropic of Cancer」で、これは夏至点がかに座(Cancer)にあることによる。

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2015年5月25日 (月)

タンポポ①

 今年の北海道は桜が早く咲いたが、タンポポもけっこう咲いていた。このあたりでは、むかわ町のたんぽぽ公園が有名だが、静内川の河原にもたくさん咲いている場所がある。この時期は日高山脈の雪解け水によって水量が多い。毎年シベリアから越冬のために飛来するハクチョウは、さすがにもういなかった。川の向こうの山の奥の方に、ぼくがいつも天体写真を撮影する場所がある。

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2015年5月24日 (日)

動物たち③

 北海道清水町の十勝千年の森では、羊(ヒツジ)と山羊(ヤギ)を飼育している。羊と山羊は種としては非常に近いのだが、羊が温厚なのに対し、山羊は攻撃的と、性格はまるっきり違うらしい。この牧場には数十頭の羊?山羊?(実はぼくもどっちだかよくわからなかった)がいたが、母親とちょっと離れた子どもが「めぇぇ〜〜」と鳴くと、ちゃんと母親が「めぇぇ〜〜」と答えていた。しかし、1頭だけ母親がなかなか答えず、子どもが必死に泣いていて、母親はどこに行ってしまったんだろうかと思っていたら、何のことはないすぐそばにいたのだった。

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2015年5月23日 (土)

動物たち②

 北海道新ひだか町では、肉牛の生産もけっこうやっている。最近では「みついし牛」というブランド名も浸透してきた。和牛には神戸ビーフ、松阪牛、近江牛、米沢牛などの有名ブランドがあるが、これらは必ずしもその土地で生まれた牛ではなく、全国各地から買い付けた牛を、その土地で独自のノウハウをもって飼育したものだ。新ひだか町で生まれた子牛は、数ヶ月間ここで育てられた後競りに出され、日本のどこかで和牛として飼育されることになる。

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2015年5月22日 (金)

動物たち①

 北海道の春は、新たな命が生まれる季節だ。サラブレッドのふるさと新ひだか町の牧場では、生まれたばかりの子馬をたくさん見ることができる。子馬は好奇心旺盛だがまだおっかなびっくりで、母親にべったりくっついて1日を過ごす。天気がいいと地面に寝転がって気持ちよさそうに昼寝をしているのもよく見かける。子馬は半年間くらい母親と一緒に放牧されるが、その後は母親と引き離され、競走馬としての育成を受けることになる。

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2015年5月21日 (木)

二十間道路桜並木⑤

 桜が咲くと北海道は春本番、いろいろな花が咲き始め、新緑がまぶしい季節を迎える。7月になると、二十間道路桜並木にはコスモスの苗が植えられ、短い夏を終えると、秋にはコスモスロードへと変身する。そしてコスモスの花が終わる頃には、朝晩すっかり寒くなり、やがて冬を迎える。北海道のバイクシーズンはだいたい5〜9月くらいで、10月になると特に道東や道北への長距離ツーリングは寒さに震えながらとなる。一方、天体写真撮影の方はというと、日高地方の春から夏は濃霧が出やすく、秋から冬の方がきれいに晴れ上がることが多い。もちろん冬はとっても寒いので、撮影はなかなか大変だが、クマにおびえなくていいだけ冬の方が安心できる。

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2015年5月20日 (水)

二十間道路桜並木④

 二十間道路桜並木の両側には牧場が広がっている。過去にスターホースを輩出した有名牧場もあるし、日本軽種馬協会静内種馬場という大きな施設もあり、競馬ファンにはおなじみの場所だ。サラブレッドに代表される軽種馬は毎年2〜6月に生まれるので、桜が咲く頃にはあちこちの牧場で子馬を見ることができる。また、子どもを産んだ繁殖牝馬(ひんば)に新たに種付けをする時期でもあるので、牧場や種馬場は大忙しだ。周辺の道路では、花見客のクルマに混じって、たくさんの馬運車が行き交う。

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2015年5月19日 (火)

二十間道路桜並木③

 二十間道路の桜が開花するのはたいていGW後半、満開になるのはGW明けだ。なのでぼくもしばらく満開の桜を見たことがなかったが、今年は4月28日開花、5月1日満開となった。GW期間中に満開になったということで、国道235号線は渋滞の列だ。新ひだか町は、同じ競走馬の産地ということで、アメリカケンタッキー州のレキシントン市と姉妹都市になっている。二十間道路には、それを記念して植樹した桜の木もある。

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2015年5月18日 (月)

二十間道路桜並木②

 北海道の花見は昔からジンギスカンと決まっている。子どもの頃は、あちこちでビニールシートを広げ、ジンギスカンを焼いているのを見た。しかし、最近は昔ほどではない感じだ。桜のトンネルのところに設けられるイベント広場にたくさんの売店が出店するので、そこで地元の食材をあれこれ食べ歩くのもいい。この日は札幌のテレビ局が来て、夕方の番組で生中継していた。

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2015年5月17日 (日)

二十間道路桜並木①

 北海道新ひだか町の二十間(にじゅっけん)道路桜並木は、3000本の桜が7㎞の直線道路に咲き誇る日本一の桜並木だ。この奥にはかつて御料牧場があり、もともとは皇族の行啓道路として整備された。大正天皇と昭和天皇は皇太子時代に、今上天皇も2006年、皇后陛下とともに行幸啓で来られた。桜の植樹が始まったのは1916年で、まもなく100周年を迎える。

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2015年5月16日 (土)

日本列島の誕生

 日本列島は世界的に見ても非常に特色ある地形と地質を有している。では、日本列島はいつどのようにして誕生したのか。日本の地質学者 平朝彦が書いた「日本列島の誕生」は、その謎に迫る本だ。結論を言えば、日本列島は、海洋底の沈み込む場所で、深海の堆積物や海洋地殻の一部がはぎ取られ、陸側に付け加わるという、付加作用でできた付加体であるということになるが、このような具体的なイメージを描くことができるようになったのは、地質や化石の研究、そしてプレートテクトニクスの体系化が大きく進んだことによる。驚きなのは、日本列島が形成されるのにかかった時間は、46億年の地球の歴史から見ればごくわずかな時間だということだ。平が示唆するとおり、世界で最も活動的な場所に位置している東京が今の繁栄を続けられる時代は、あと少ししかないのかもしれない。とは言えぼくの故郷も、日高山脈という特異な地形を有しており、安全な場所とは言えないのだが。

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2015年5月15日 (金)

96時間/レクイエム(TAKEN 3)

 映画「96時間/レクイエム(TAKEN 3)」は、凄腕元CIAエージェントのブライアン・ミルズ(リーアム・ニーソン)が、一人娘キムを守るため、みたび無敵の父親ぶりを見せつけるノンストップ・アクション映画だ。元妻レノーアと再び親密な関係になりそうなブライアンだったが、レノーアは突然殺され、ブライアンは容疑者として警察に追われることになる。全力を挙げて追ってくる警察の追跡をかわしながら、キムを守るため、ブライアンは事件の真相に迫っていく。今回はブライアンの元同僚の3人の友人も活躍するほか、フォレスト・ウィテカー演じるロサンゼルス市警のドッツラー警部もいい味を出している。

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2015年5月14日 (木)

江戸城の門⑫ 清水門

 清水門は千代田区役所の正面にあり、第9代将軍徳川家重の次男 重好を始祖とする清水徳川家の名前の由来ともなった。清水門を入ると、すぐにけっこう急な雁木(がんき)坂があり、石段が残っている。ここを登ると皇宮警察の官舎があるが、民間の物件だったら家賃は一体いくらぐらいになるのだろうか。なお、御三卿の一つ、一橋徳川家の屋敷があった一橋門は、明治初期に撤去されたそうで、現存していない。

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2015年5月13日 (水)

江戸城の門⑪ 田安門

 田安門は北の丸公園の入口にあり、ここから入ると目の前に日本武道館がある。靖国通りの反対側に平将門をまつった築土(つくど)神社があるが、築土神社はかつて田安明神と呼ばれていたそうだ。築土神社には将門の首桶があったが、惜しいことに戦災で焼失してしまった。第8代将軍徳川吉宗の次男 宗武を始祖とする田安徳川家は、このあたりに屋敷を構え、一橋徳川家、清水徳川家とともに御三卿(ごさんきょう)として遇せられた。

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2015年5月12日 (火)

江戸城の門⑩ 半蔵門

 半蔵門は皇居吹上御苑の入口にある。江戸時代の吹上地区には一時、大名屋敷もあったそうだが、明暦の大火で焼失した後、火災の延焼を防ぐため庭園となったそうだ。半蔵門という名前は、徳川家康に仕えた服部半蔵(服部正成)に由来するという。本能寺の変に際し、堺に滞在していた家康はわずかな供回りとともに岡崎城に帰ろうとするが、危険を避けるため、東海道ではなく険しい伊賀越えを図る。このとき活躍したのが、父が伊賀出身の半蔵だった。

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2015年5月11日 (月)

江戸城の門⑨ 桜田門(外桜田門)

 桜田門と言えば大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変で有名だが、正面にある警視庁を指す隠語としても使われている。桜田門は、他の門と同様、枡形門(ますがたもん)という形式になっていて、外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)が直角に配置されている。枡形門は、敵が侵入してきても真っ直ぐには突っ込めないので、防御に優れているのだ。

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2015年5月10日 (日)

江戸城の櫓③ 伏見櫓

 現存する江戸城の3つの櫓(やぐら)の一つ、伏見櫓は、京都の伏見城(桃山城)の櫓を移築したという説もあるそうだ。伏見城は歴史の重要な舞台となった場所で、豊臣秀吉がここで没し、関ヶ原の戦いの直前には東軍と西軍がここで激突した。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けたのも伏見城だ。伏見櫓とその手前の二重橋の姿はとても美しく、皇居での写真撮影の人気スポットとなっている。

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2015年5月 9日 (土)

江戸城の門⑧ 皇居正門(西の丸大手門)

 江戸城西の丸の正門だった西の丸大手門は、現在皇居正門となっている。通常はここから入ることはできないが、新年一般参賀や天皇誕生日一般参賀の際はここから参入する。ここは外国人観光客が多いようで、ぼくが行ったときもたくさんいた。現在改修工事中で、ネットに覆われていたのが残念だった。

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2015年5月 8日 (金)

江戸城の門⑦ 坂下門

 坂下門は宮内庁の出入口となっているが、かつては江戸城西の丸の通用門だったそうだ。当時の西の丸は、将軍職を辞した大御所(前将軍)が本丸から移り住む場所として使われた。第2代将軍徳川秀忠は18年ほど将軍を務めたが、家光に将軍職を譲ってからも、大御所として西の丸で政務を執り続けた。

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2015年5月 7日 (木)

江戸城の櫓② 富士見櫓

 桔梗門の近くに行くと、現存する江戸城の3つの櫓(やぐら)の一つ、富士見櫓が姿を見せる。富士見櫓からは、その名のとおり富士山がよく見えたのだろう。明暦の大火で天守閣が消失した後は、天守閣に代用されたそうだ。どの方向から見ても同じ形に見えるため、八方正面の櫓とも呼ばれたという。

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2015年5月 6日 (水)

江戸城の門⑥ 桔梗門(内桜田門)

 桔梗門は内桜田門とも呼ばれている。名前の由来は、1457年に江戸城を築城した太田道灌の家紋が桔梗紋だったからだそうだ。道灌時代の江戸城は小規模だったが、徳川家康がここを居城と定め、江戸幕府を開幕してからは、全国の諸大名に命じて大規模な工事(天下普請)を行い、日本一の城となった。

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2015年5月 5日 (火)

江戸城の櫓① 桜田二重櫓

 桔梗門のすぐ近くにある桜田二重櫓(やぐら)は、別名巽櫓(たつみやぐら)とも呼ばれている。江戸城にはかつて20もの櫓があったそうだが、現存するのは3つだ。櫓には外を監視したり、武器を保管したり、敵が攻めてきたときに防御したりといった役割があり、各地の城にも残っている。

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2015年5月 4日 (月)

江戸城の門⑤ 大手門

 江戸城の正門だった大手門は、大手町という地名の由来ともなった門で、堂々たる門構えをしている。ここは何度か火災などで損壊し、建て直されたそうだが、今も耐震補強工事中だ。諸国から集まった大名たちはここから登城し、この先の大手三の門で駕籠(かご)から降りたという。そこには「下馬」という高札が立てられ、家臣たちがここで待っている間、他家の家臣と情報交換をしていたことから、「下馬評」という言葉が生まれたそうだ。

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2015年5月 3日 (日)

江戸城の門④ 平川門

 皇居東御苑は江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を整備したもので、月・金曜日以外は一般公開されている。出入りする際は大手門か平川門、北詰橋門(きたはねばしもん)を通る。平川門は田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の御三卿(ごさんきょう)や大奥女中の登城口だったそうだ。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので、不浄門(ふじょうもん)とも呼ばれたという。

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2015年5月 2日 (土)

江戸城の門③ 竹橋門

 北桔橋門(きたはねばしもん)と平川門の間にはかつて竹橋門があったそうで、記念碑が残っている。竹橋と言えば千姫が暮らした場所として有名だろう。千姫は2代将軍徳川秀忠と浅井三姉妹の三女お江の長女として生まれ、いとこでもある豊臣秀頼の妻となるが、大坂夏の陣で大坂城が落城する際に家康によって助け出される。その後は桑名藩主 本多忠刻と再婚するが、夫の死後江戸に戻り、出家して竹橋で晩年を過ごす。祖母のお市、母親のお江ともども、波乱の人生を生きた女性だ。

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2015年5月 1日 (金)

江戸城の門② 北桔橋門

 北桔橋門(きたはねばしもん)は江戸城本丸天守閣のすぐ北にあり、軍事上非常に重要な門だったようだ。天守閣は3回築かれたが、3代将軍徳川家光のときに築かれた5層の天守閣は、明暦の大火で焼け落ちた。現在、北桔橋門を入るとすぐそこに天守台があるが、これは明暦の大火で天守閣が焼け落ちた翌年に築かれたものだそうで、結局天守閣は再建されなかった。現存していれば日本最大の天守閣だったろうに、大変もったいない。

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