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1958年のフランス映画「死刑台のエレベーター」は、ヌーヴェルヴァーグの代表的作品と言われている。この映画の音楽を担当したのがマイルス・デイヴィスだ。1957年にライブ演奏のためパリを訪れていたマイルスは、そのままパリのスタジオでサウンドトラックアルバム「Ascenseur pour l’échafaud」の録音に臨む。サスペンス映画らしい、緊張感あふれる演奏だ。
天体力学は、力学の法則に基づき、天体の運動を研究する学問だ。天文学はもともと暦をつくることから始まったが、この分野は位置天文学として発展した。17世紀になって、ヨハネス・ケプラーが惑星の運動に関する法則を発見、アイザック・ニュートンがニュートン力学の体系を完成させる。日本の天文学者 長沢工の「天体力学入門」は、その名のとおり天体力学の入門書だが、内容はなかなか難しい。ニュートンの運動方程式じたいはシンプルだが、そこから惑星の軌道を導くのはかなりめんどくさいのだ。さらに、天体の数が3つ以上になると、3体問題といって方程式を厳密に解くことはできなくなる。現代はコンピューターがあるからいいが、昔は大変な仕事だったろう。
マイルス・デイヴィスは1949〜50年、ギル・エヴァンスとともに、クールジャズの元祖と言われる「BIRTH OF THE COOL」を録音するが、1957年、再びエヴァンスとともに「MILES AHEAD」を録音する。20人編成による、いつもとはちょっと違ったマイルスのジャズだ。
マイルス・デイヴィスの1956年の通称「マラソンセッション」から生まれたうちの1枚が「COOKIN’」だ。チェット・ベイカーやフランク・シナトラが歌っているジャズスタンダードナンバーの「My Funny Valentine」をマイルスが演奏しているが、絶品だ。
リチャード・ファインマンは1988年に死去したが、ファインマンと交流のあったジョン・ホイーラーやフリーマン・ダイソン、ジュリアン・シュウィンガー、マレー・ゲルマンらによる寄稿を集めた追悼本が「さようならファインマンさん」だ。ホイーラーは相対性理論の専門家で、「ブラックホール」などの名付け親でもあるが、ファインマンがプリンストンの大学院に入学してきたときの助教授だった。ファインマンが「経路積分」を考案したとき、ホイーラーがアインシュタインを訪ね、「この発見で量子力学を受け入れる気になりませんか」と問いかけた話などは興味深い(アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と述べ、量子力学には否定的だった)。
マイルス・デイヴィスの1956年の通称「マラソンセッション」から生まれたうちの1枚が「RELAXIN’」だ。曲の間にはマイルスやコルトレーンの会話が録音されていて、彼らの生の声を聴くことができる。
マイルス・デイヴィスの1956年の通称「マラソンセッション」から生まれたうちの1枚が「STEAMIN’」だ。テナーサックスを吹いているのはマイルスバンドに加入したばかりのジョン・コルトレーンだ。
マイルス・デイヴィスは1956年、春と秋に1日ずつ、アルバム4枚分の曲を一気に録音する。大手レコード会社コロンビアと契約するも、以前のジャズ専門レーベルとの契約も残っていて、それを消化するためだったそうだ。通称「マラソンセッション」と呼ばれるこの2日間の録音から、「WORKIN’」「STEAMIN’」「RELAXIN’」「COOKIN’」の4枚の名盤が生まれた。
リチャード・ファインマンの「ファインマンさんベストエッセイ」は、ファインマンの講演やインタビューを寄せ集めた本だ。ファインマン本はたくさんあるが、ファインマンが自ら書いた本はほとんどなく、「ファインマン著」というのもほとんどは講演やインタビューを書き起こしたものだ。とにかく文章を書くのは嫌いだったらしい。その代わり、話をさせたら天下一品だったそうだ。そういえば、予備校に通ってたとき、ベストセラーの参考書を何冊も書いていた英語のI先生の授業は眠くなったが、物理のY先生の話はおもしろかったなぁ。そのY先生、最近も新たな科学史の本を刊行したが、ユーモアあふれるしゃべりとはまったく違って超硬派な本だ。
マイルス・デイヴィスが1955〜56年に録音した「‘ROUND ABOUT MIDNIGHT」は、それまでのジャズ専門レーベルではなく、大手レコード会社のコロンビアから発売された。タイトル曲はセロニアス・モンク作曲のジャズスタンダードナンバーで、「’ROUND MIDNIGHT」とされることもある。1986年にはデクスター・ゴードン主演映画のタイトルにもなった。モダンジャズを代表する有名曲だ。
「BAGS GROOVE」でミルト・ジャクソンと共演したマイルス・デイヴィスは、翌1955年に再びジャクソンと共演、「MILES DAVIS AND MILT JACKSON QUINTET / SEXTET」を録音する。レコーディングの途中で、麻薬中毒のジャッキー・マクリーンが怒って帰ってしまうというトラブルがあったそうだ。
リチャード・ファインマンがカリフォルニア工科大学(カルテク)の新入生向けに行った1961年から1963年にかけての講義は、「ファインマン物理学」(日本版は全5巻)として刊行され、今なお世界中で読まれている。その「ファインマン物理学」には入らなかった、いわば失われた講義が30年ぶりに発掘されよみがえったのが「ファインマンさん、力学を語る」だ。著者は1964年のファインマンの講義ノートと録音テープを入手し、それを再現することに成功したのだ。古典力学を完成させたアイザック・ニュートンは、その著書「プリンキピア」の中で、幾何学を駆使して力学の法則を導き出すが、ファインマンも同様の手法で力学の法則を証明していく。現代の力学の教科書とはまったく違うアプローチだ。
マイルス・デイヴィスが1954年に録音した「MILES DAVIS AND THE MODERN JAZZ GIANTS」は、「BAGS GROOVE」と同じ日に録音した別の演奏が収録されている。タイトルどおり、大物ジャズマンたちとの共演だ。
マイルス・デイヴィスが1954年に録音した「BAGS GROOVE」は、セロニアス・モンクやソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソンなど大物ジャズマンが参加したアルバムだ。同じ日に録音した別の演奏は、「MILES DAVIS AND THE MODERN JAZZ GIANTS」にも収録されている。
リチャード・ファインマンは権威というものを信じず、相手がいくら大物だろうと、あるいは例え子どもだろうと、常に正直に率直に本音を語る人物だったそうだ。言葉遣いはニューヨーク・ブルックリン訛りで、とても大学教授とは思えないくだけた話し方だったという。そうしたファインマンの雰囲気にはこれまでの自伝や伝記で(日本語訳だが)接することができるが、「ファインマンさんの愉快な人生」は、ファインマンの生涯をちょっとアカデミックに綴った伝記だ。ファインマンは戦争中「マンハッタン計画」に参加していて、人類初の核実験「トリニティ実験」にも立ち会っているが、そのときの話も書かれている。後年ファインマンは、ホノルルの寺を訪ねたときの住職の言葉を忘れられず、講演などでも紹介している。「人はみな極楽の門を開く鍵を与えられているが、その同じ鍵は地獄の門をも開く」
麻薬中毒から立ち直ったマイルス・デイヴィスが1954年に録音した「WALKIN’」は、ハードバップ創生期の名盤だ。ここからマイルスは立て続けにジャズ史上に残る名盤を発表していく。まさに帝王マイルスの黄金時代が始まったと言うことができるだろう。
リチャード・ファインマンは1988年に死去したが、その後もファインマンの伝記は続々と刊行された。「ファインマンさん最後の冒険」は、晩年のファインマンが「チューバ」という国に出かけようとする話が紹介されている。「チューバ」は当時ソビエト連邦の自治共和国で、現在はロシア連邦の共和国だ。ファインマンは子どもの頃に切手収集をしていて、「タンヌ・チューバ」発行の切手を持っていたそうだ。それが今はどうなってるのかという話から始まって、みなで地図を引っ張り出して探したら、首都の名前は「KYZYL」だということがわかり、こんな変わった地名なのだから絶対おもしろいところに違いないと、何とかして行こうとあれこれ計画を練り始める。そしてとうとう、ソビエト科学アカデミーからの招待状が来るのだが、それはファインマンの死後となってしまった。
マイルス・デイヴィスは1952〜54年、ブルーノートで「MILES DAVIS Vol.1・Vol.2」を録音したが、当時のマイルスは麻薬中毒だったそうだ。この時期ジャズと麻薬は切っても切れない関係という感じで、そのため才能に恵まれながら短命に終わったジャズマンも多かった。しかし、この後マイルスは立ち直り、半世紀近くにわたって音楽活動を行う。
リチャード・ファインマンは量子電磁力学(QED)の発展に大きく貢献したことでノーベル物理学賞を受賞した。ファインマンの「光と物質のふしぎな理論」は、1983年のカリフォルニア大学での講演が元になっているが、物理学科の学生向けではなく、一般向けにわかりやすくQEDを解説した本だ。光と物質、もっと正確に言えば光子と電子の相互作用というのは非常に不思議なふるまいを見せるが、ファインマンや朝永振一郎が打ち立てた理論により、極めて高い精度で計算することが可能となった。ファインマンが考案したファインマン・ダイアグラムは、複雑な計算を視覚的に行うことができるようにしたものとして有名だが、本書でもたくさん登場する。
マイルス・デイヴィスが1951年に録音した「DIG」は、ビバップと入れ替わるように登場したハードバップと呼ばれる新しいスタイルの元祖と言われている。ジャズの名盤と呼ばれているものは、ハードバップ時代のアルバムが多い。マイルスもこの後続々と後世に残る名盤を発表していく。
「BIRTH OF COOL」でクールジャズという新しいスタイルを生み出したマイルス・デイヴィスだが、同時期にビバップによる演奏も続けている。1949年録音の「THE MILES DAVIS TADD DAMERON QUINTET IN PARIS FESTIVAL INTERNATIONAL DE JAZZ」は、ピアニストのタッド・ダメロンらと組み、パリの国際ジャズフェスティヴァルで演奏した際のラジオ録音だ。
アメリカの物理学者リチャード・ファインマンは、20世紀物理学会のスーパースターだ。とにかくユーモアあふれる人物で、奇想天外な行動も数多くあったが、物理学に対する姿勢は誰よりも真摯だった。そのファインマンの自伝「ご冗談でしょう、ファインマンさん」はベストセラーとなったが、続編として書かれたのが「困ります、ファインマンさん」だ。1986年、スペースシャトル・チャレンジャーが打ち上げ直後に空中分解し、乗組員全員が死亡するという事故があった。ぼくも生中継で見ていたが、衝撃的な事故だった。事故原因を調査するため、大統領令による「ロジャース委員会」が組織されたが、本書では委員となったファインマンの目から見たロジャース委員会のてんまつが語られていて、非常に興味深い。
ジャズの帝王マイルス・デイヴィス(トランペット)は、1926年、イリノイ州に生まれ、1991年、満65歳で死去した。ジャズを聴いてみようかと思ってジャズ入門本を開くと、真っ先に登場するのがマイルスだ。一口に「ジャズ」と言っても、時代とともに大きくスタイルが変わってきた。マイルスは半世紀という長期間にわたって活動しただけでなく、常に先進的な試みでジャズ界をリードしてきた。1949〜50年録音の「BIRTH OF THE COOL」は、当時全盛だったビバップへの反動から生まれたクールジャズの元祖と言われている。
マイルス・デイヴィスのバンドにも参加したウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルが結成したウェザー・リポートは1971年、アルバム「WEATHER REPORT」でデビューした。当時のジャズ界は、マイルス・デイヴィスを筆頭にエレクトリックサウンドへの過渡期にあり、この後フュージョン全盛時代へと突入していく。
キース・ジャレットはマイルス・デイヴィスのバンドにも参加したミュージシャンだ。ピアノにキーボード、オルガンなどいくつもの楽器を演奏するだけでなく、クラシックも演奏するなど、幅広い活動をしている。「THE KÖLN CONCERT」は、1975年にドイツのケルンで行われた完全即興ソロコンサートのライブ録音だ。来日回数も数多く、ぼくも何年か前に渋谷に聴きに行ったことがある。ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオ「キース・ジャレット・トリオ」では、ジャズスタンダードを演奏していて、おなじみのナンバーを聴くことができる。
チック・コリアはマイルス・デイヴィスのバンドにも参加したミュージシャンだ。もともとピアニストだが、キーボードも演奏する。当時のマイルスはエレクトリック楽器を積極的に導入し、「電化マイルス」などと呼ばれたようだが、コリアはエレクトリック・ピアノを演奏していた。1972年に録音したリーダーアルバム「return to forever」は、コリアの代表作であると同時に、フュージョン創生期の記念碑的アルバムだ。
エリック・ドルフィーは、サックス、フルート、バスクラリネットの3つの楽器を演奏し、ジョン・コルトレーンのバンドにも参加した。1964年にオランダで録音した「LAST DATE」は、タイトルどおりドルフィーの人生最後の日々に演奏されたものだ。ドルフィーはまだ36歳だったが、オランダでライブ演奏を行った後、ベルリン滞在中に急死する。アルバムの最後に、ドルフィーの肉声が残されている。「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.」
ギル・エヴァンスは、ピアニストというよりも、アレンジャーとして多くのジャズマンのアルバム制作に関わったことで有名だ。特に関係が深かったのがマイルス・デイヴィスで、クールジャズの元祖と言われる「BIRTH OF THE COOL」はエヴァンスとマイルスの合作だ。「THE INDIVIDUALISM OF GIL EVANS」は1964年録音のエヴァンスのリーダーアルバムで、独特の世界観が広がる感じだ。
マッコイ・タイナーは、ジョン・コルトレーンのアルバムに何度も参加したピアニストだ。その後自らのバンドを結成し、ときどき来日して演奏している。「NIGHTS OF BALLADS & BLUES」はタイナーが1963年に録音したリーダーアルバムで、タイトルどおりバラード中心の選曲となっている。
ケニー・バレルは、ディジー・ガレスピーのバンドからスタートして、21世紀に入ってもリーダーアルバムを発表するなど、半世紀にわたって活動しているギター奏者だ。1963年に録音した「midnight blue」は、バレルの代表作で、ブルース色たっぷりのジャズを聴くことができる。
サックス奏者としてだけでなく、ブルーノートでディレクターのような仕事もしていたアイク・ケベックは、ビッグバンドジャズ時代から演奏していたジャズマンだ。1961年に録音した「it might as well be spring」は晩年のアルバムで、ジャズではちょっとめずらしいオルガンも参加している。このオルガンがまたなかかいい味を出している。
サックス奏者のティナ・ブルックスは、麻薬中毒になったりして早死にしたので、活動期間は長くない。1960年に録音した「TRUE BLUE」は、唯一のブルックスの正規のリーダーアルバムだそうだ。「TRUE BLUE」には、トランペット奏者のフレディ・ハバードが参加しているが、ハバードの代表作「OPEN SESAME」には逆にブルックスが参加している。